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ポリティクスの場 [最近の論文]



 ポリティクスの場 ―― ハンナ・アレントのカント解釈について  


 最晩年のハンナ・アレントの関心の所在について少し考えてみたい。
 『精神の生活』は彼女の思索の総決算となるはずだった。その書は(おだやかな意味において)カントの三批判書に対応する仕方で構成されており、「思考」、「意志」、「判断」の三部からなる予定であった。しかしアレントの突然の死によって、その第三部「判断(Judging)」の考察が書かれることはなかった。あとには相当数の講義ノートが残された。そのなかでカントの政治哲学を扱った講義ノートが、『カントの政治哲学講義』という題名で出版された(以下『講義』と略記)。それは、『精神の生活』の未完の部分を推測させる手がかりを提供してくれるのだが、それと同時にその推測を阻む要因も含んでいた。『講義』で示された読み方が、あまりにも斬新だったことが躓きの石になったからである。
 アレントが、「判断」を書き上げる上でカントの『判断力批判』をほとんど唯一の手がりとして考えていたことについては、多くの自己証言がある。だから、『講義』の内容が『精神の生活』第三部の中核部分を占めていただろうと推測することも間違いではない。だがなぜ「政治哲学」なのか。なぜ『判断力批判』を「政治哲学」として読もうとするのか。なぜ『精神の生活』の帰結部分が「政治哲学」の色彩を帯びるのか。政治ほど「精神の生活」に縁遠いものはないのではないか。
 こうした疑問に答えるためには、「政治」という語にアレントがいかなる意味を込めたのかという点を明らかにしておかなければならない。だが奇妙なことに、『講義』でアレントは、その肝心の点をはっきりとは述べてはいないように思われる。『講義』の基調は、主として消極的で自己弁護的ですらある。つまり、カントの晩年の関心を一種の政治哲学として解釈することが不当ではないということを正当化することに主眼が置かれており、その傍証集めに汲々しとしている感が強い。その結果、あえて「カントの政治哲学」を論ずることでアレントが何を目指したいのかが、読み取りづらくなっている。『講義』はあくまで講義ノートであり、出版を意図して書かれたものではなかった。だからそのことを割り引いて評価すべきであろうが、それを完結した書物として読む者にとっては、『講義』は好餌を提供したようである。ロナルド・ベイナーが編集した最近の論文集を一瞥するだけで、アレントのカント解釈がいかに不評であったかがよく判る(1)。
 だがアレントの側に、単純な誤読や曲解(独断や無知蒙昧の類のことだが)は存在しない。では、意図的な誤読がある、と言うべきなのだろうか。だが誤読はどこまでいっても誤読であろう。どんな意図をもちだしても正当化されるわけではない。
 はたして誤読なのかどうかを、どうやって決めるべきなのか。この点を以下で考えてみたいのだが、まず『講義』に目を向けてみよう。アレントが『講義』で「カントの政治哲学」に言及するさいに特徴的な点をいくつか拾い上げてみたい。そこには、判りづらい疑問点や格別の「困難」がある。それらに対処するためにも、『精神の生活』や1964年の講義のノート(未刊)を考慮に入れることになるだろう。
 
1. 『カントの政治哲学講義』

 アレントの読み方に含まれる特異な「意図」は、すでに「第三講」のつぎの個所で示唆されている。つまり、
 「厳密に言えば存在していないカント的トピック(a Kantian topic)、つまりカントの書かれざる政治哲学のことであるが、そのトピックをわざわざ論ずるために私が提供した正当化のすべてを背景にしても、われわれが決して完全には克服できない反論が一つ存在する…」(2)。
 この引用文(あとで何度かこの引用文に立ちかえることを考えて、「引用文(2)」と記しておこう)には、いくつかのモチーフが交錯している。それらを抽出してみよう。
ⅰ)  『講義』は、「カントの政治哲学」について語ろうとするのだが、それは、厳密に言えば「存在せず」、「書かれざる」トピックであった。だからアレントは、カントが実際に書いた晩年の「政治的」と見なしうる諸論文(『永久平和論』や『諸学部の争い』)に視線を注いでいるわけではない(それらに目配りがまったくされていないわけではないが)。ではどこにアレントの視線は向かっているのか。その焦点を突き止めることは難しいことではない。それは、(アレントによれば)カントが初期の頃から晩年に至るまで関心を持ちつづけた問題の一つで、
 「…人間の「社交性(sociability)」、つまり誰も一人では生きることが出来ないという事実、人々は欲求や心配事だけではなくて、その最高の能力、人間の精神においても相互に依存しあっているという事実 [に関わっている]。人間の精神は、人間の共同体の外側で機能することはないだろう。「交際[人々との交わり]は思考する者にとって不可欠である(Company is indispensable for the thinker)。この概念は、『判断力批判』の第一部にとっての鍵をなすものである」(3)。 
 「社交性」にかんするモチーフは、ごく初期のカントの『美と崇高との感情に関する観察』ですでに明瞭に語られており、『純粋理性批判』への没頭のために中断されたとはいえ、決して省みられなくなったわけではない。それどころか、『判断力批判』の第一部でたえず前提されているのであるから、カントが生涯にわたって抱きつづけたモチーフであったと言ってもいい。アレントの「カントの政治哲学」に対する興味の核心はこの「社交性」にある、と見てまず間違いない。
ⅱ) だがカントにおいて、人間の「社交性」は、別の強力なモチーフと不可分な形で考えられていた。カントは、『人類史の憶測的起源』から明らかなように、人間の社交性を歴史のプロセスの一齣として考えている。歴史のプロセスとは「進歩」のことである。一八世紀になって顕著になった歴史観をカントも踏襲しているわけである。ただし、カントにおいて特異なことに、歴史とは「自然の一部」なのである。
 「歴史の主体は、被造物の一部として理解された人類(human species)である。たとえそれが、その最終目的であり、被造物の、いわば、王冠であるとしても、被造物の一部であることにかわりはない。歴史において重要なことは…物語でも歴史的個人でも、善悪を問わず人々が成し遂げたこことでもなく、自然の隠された計略なのであって、その計略のおかげで、人類は進歩し、連綿と続く世代を通して、その素質のすべてを開花させていくのである」(4)。 
 この「見えざる神の手」のように機能する「進歩」によって、「文化」や「自由」が、そして「人間にとっての最高目的、つまり社交性」が産み出される(『人類史の憶測的起源』)。こうした歴史の(あるいは自然の)プロセスに内在する目的論的原理は、『判断力批判』の第二部で詳しく展開されることになる。『判断力批判』の枠組みの中で考えてみても、第一部の「社交性」のモチーフは独立した主題というよりも、第二部の目的論、つまり「自然の計略」の一環をなすものとして考えられている。
ⅲ) これらの洞察に加え、アレントは、アメリカでの革命およびフランス革命が、カントを政治的独断のまどろみから覚醒させたという事実を強調する。ヒュームによって理性の独断から、ルソーによって道徳的独断から覚醒させられた後の、三度目の覚醒だ、というわけである。その頃を境に、国家体制の設立にかんする考察がカントにおいて目立って増えていくことは事実である。だがこうした問題意識の変化は、カントを政治と道徳をいかに調停するかという厄介な問題に直面させた。そしてカントは、政治を扱うときに自分の道徳哲学を前面に押し出さないという道を選んだ。つぎの引用文は、アレントが特に好んで活用した『永遠平和論』の一節である。
 「国家を組織するという問題は、いかに困難に思われようとも、悪魔の民族(a race of devils)にとってすら、もしその民族が知的でさえあれば、解決可能である。問題なのは、「全体としては自己保存のために普遍的法則を必要としながら、各人は密かにそれから逃れようとする傾向をもつ多くの理性的存在者がいるときに、たとえ彼らの私的意図が衝突するとしても、彼らが互いに抑制し合い、その結果彼らの公的な振る舞いが、まるでそのような意図がなかった場合と同じになるように、憲法を定めること」である」(5)。
道徳的行為の場合は、私的意図の純粋性がすべてであるのに対して、政治の場で肝心なのは「公的な振る舞い」における帰結のみである。そこで道徳的高潔さは必要とはされない。したがって「悪魔」のような人間の集まりでも問題はない。「悪魔」とは個々人の私的領域における邪悪さであるが、それが公的領域に現れない限り政治的には無に等しい。悪魔が公的な振る舞いにおいてすら悪魔であるならば、その民族は早晩自滅する他はない。だが実際上は、悪魔の民族でさえ、利己心を持ちながら「互いに抑制し合い」、まるで利己心がなかったかのような結果を現出させるのが、歴史の、あるいは自然の「摂理」というものである。
 この「悪魔の民族」にアレントが言及した理由を確認しておこう。
  α)政治体制の樹立をめぐる問題で肝心なのは、あくまで「公的な振る舞い」を問題とすべきであるということ。したがって私的な意図、動機、意志等は問題にならない。「実践理性」の諸原理も考慮に入れるべきではない。これらのいずれもが『判断力批判』でも貫かれている姿勢である。同書が三批判書のなかで異彩を放つのは、「理性」に対する言及がほとんどないということ、「理性の不在」である。そこでカントは「叡智的存在者あるいは認識的存在者としての人間について語ってはいない」(6)。
 β) 利己心が相互に相殺し合うプロセスは、すでに初期の『美と崇高との感情に関する観察』で述べられていた。カントはそこで問題にしたのは、動物界に見られる、利己心を制御する本能のメカニズムであった。それと同じ観点から歴史のプロセスを眺め、本能の利害調整機能と類比的な役割を憲法に期待しているわけである。ここでもやはり、人間事象の、言いかえれば歴史のプロセスは、あくまで自然のプロセスに基づいて理解されるべきであるという基本線に変更はない。国家の創設の問題を解決するには、自然のプロセスを理解するだけの「知性」があれば足りる。そうした知性のあり方を「悪魔」の語で示唆しているわけである(したがって国家創設に関する問題は、知的なパズルを解くようなものであろう。この問題にささげられたカントの政治的な論文に、アレントがさしたる関心を示さないのは当然であろう)。
 以上見てきたように、人間は生きるためのみならず思考し判断するためにも複数の仲間を必要とするということ(「社交性」)、それが自然の目的論の観点で理解されていたこと、これらのテーマが初期から持ち越され、やがて『判断力批判』で展開されたこと。さらには道徳性の除外と公共性の強調。歴史と自然の根本的同一性。これらの点を示唆することで、アレントは「カントの政治哲学」を語ることを正当化していく。これらが、引用文(2)で言われた「正当化」の内実である。
ⅳ)だがもう一度、引用文(2)を振り返ってみよう。「厳密に言えば存在していないカント的トピック、つまりカントの書かれざる政治哲学のことであるが、そのトピックをわざわざ論ずるために私が提供した正当化のすべてを背景にしても、われわれが決して完全には克服できない反論が一つ存在する…」。
 先に進む前に、述べずにすますことが出来ない疑問が一つある。かりにアレントが提供する「正当化」を承認するならば、「カントの政治哲学」は「書かれざる」どころか、「書かれていた」と言うべきではないだろうか。かりにそれらが断片的で、批判哲学の仕事に中断されながら初期と後期に分断されているとはいえ、「厳密に言えば」、それは「存在している」と言うべきなのではないだろうか。『講義』がその冒頭部分から、『判断力批判』を一種の政治哲学的論考として扱うことに照準を合わせているのは明らかである。では、なぜ、端的に、『判断力批判』を俎上に上げて正面から立ち向かわないのか。実際、こうした勿体をつけた語り方に、何やら不純なものを感じ取る解釈者もいるほどである(7)。
 この疑問は、興味深い点を少なからず含んでいる。だが、引用文(2)が語る「われわれが決して完全には克服できない反論」を見た後で、ふたたび立ちかえることにしよう。 

2. 「完全には克服できない困難」

 「カントの政治哲学」を語ろうとする試みには、文献的に問題のない材料が少なからずあるにもかかわらず、それでも「完全には克服できない困難」が行く手をさえぎっているという。一体それは何か。
 それは、かりに「カントの政治哲学」を語ることが可能であるとしても、それが、カントの掲げた「哲学にとって中心的な三つの問い」に関わりを持ちえない、ということである。「三つの問い」とは、「私は何を知りうるか」、「私は何をなすべきか」、「私は何を望んでいいか」、である。このうち第一と第三の問いは、形而上学の伝統的テーマである「神」と「魂の不死」を扱うわけだが(『純粋理性批判』で否定的な仕方で扱われた)、それらと「政治」の関連性はこの上なく希薄である。第二の問いは自由の概念に向かう。一見するとここに「カントの政治哲学」に関連するものが見つかるかもしれない、と期待するのは「重大なあやまちであろう」。「私は何をなすべきか」は、理性的存在としての人間の「意志」のあり方を問題にしている(『実践理性批判』のテーマ)。その人間は、他者に依存することなく、自己完結的でなければならない。それに対してアレントが「政治」に求めているのは、人間の複数性という条件であり(「社交性」)、その条件のもとでの行為である。したがって、もし「カントの政治哲学」に関連する洞察を収集したとしても、それは、カント哲学にとってきわめて周辺的なものにしかなりえない、ということになる。だが、アレントが「カントの政治哲学」と言うとき、カントの本筋から外れた末梢的なテーマを意図しているわけではない。これが「完全には克服できない困難」として言われたことの内実である。
 この困難は、一見すると、カントの「道徳哲学」と「政治哲学」の相克に由来すると解釈できるかもしれない。「私は何をなすべきか」という問いは、とりもなおさず『実践理性批判』の問題設定に直結するのだが、そこで示された道徳哲学の原理(たとえば有名な「定言命法」)は、「カントが自分の政治的洞察を自分の道徳哲学と調和させようと試みたとき、カントの邪魔になった」であろう、とアレントは言う(8)。既述の「悪魔の民族」を想起するならば、アレントの意図はすぐ理解できよう。そこで、『講義』は、カントの道徳哲学に関連する部分にほとんど触れることなく進行する。カントの啓蒙思想・批判哲学の政治的意味合いを語り、フランス革命に対するカントの熱烈な共感を語り、その共感の底に不偏不党の「注視者」の態度があることを読み取り、その「注視者」のあり方を『判断力批判』における「共通感覚」の議論で裏打ちしていく。
 こうした『講義』の進め方は、一見したところ、道徳性に「人間の尊厳」を見る「カント哲学の核心」を「拒絶」した進め方のように見える。少なくとも、ロナルド・ベイナーはそう考えている(9)。だが、おそらくそのような「拒絶」は存在しない。つぎの三つの点を考えてみよう。
 ⅰ) 『講義』全体の性格を考えるとき留意しなければならないのは、『講義』があくまで『精神の生活』第三部という性格を兼ね備えているということである。第三部は「判断」を扱う。アレントにとって、カントの「定言命法」は、「思考」にとって不可欠な一種の無矛盾性の規則であって、それに相応しい場所は、『精神の生活』の第一部「思考」である(だから「二者のなかの一者」のなかで言及されるのである)。「思考」、「意志」、「判断」、それらは、相互に独立した能力として捉えられているのだから、「判断」を扱うところで、定言命法(に代表される道徳原理)に訴えかけるのは、一種のカテゴリー・ミステイクである。したがってカントの道徳哲学に言及しないからといって、アレントはそれを「拒絶」している、とは言えない。カッコに入れているにすぎない。ただし、これはアレント内部の問題、『精神の生活』内部の問題にすぎない、と見えるかもしれない(後に見るように、そうではないのである。「思考」と「判断」の関係についてはまだ述べなくてはならないことが多々ある)。
ⅱ)カントは、先に挙げた三つの問いに、「人間とは何か」という第四の問いを、講義のなかで付け加えるのがつねだった。そして「われわれは、これら四つの問いを総称して「人間学」と呼ぶことができよう。なぜなら初めの三つの問いは、最後の問いに関係している[指し示している]からである」と説明していた(11)。アレントは、この「人間とは何か」という問いがカントの中でいかに解決されうるのかを検討することによって、あの「完全には克服できない困難」に対処したように見える。「第四講」の最後で、つぎのように整理されている。
 「人類(Human species)=人類(Mankind)=自然の一部=「歴史」に、つまり自然の計略に従属している=「目的」の理念の下で、目的論的判断力の下で考察される。『判断力批判』第二部。
 人間(Man)=理性的存在者であり、人間が自分自身に与える実践理性の諸法則に従属しており、自律的であり、目的自体であり、精神の王国、英知的存在者の領域に属する=『実践理性批判』および『純粋理性批判』。
 人々(Men)=地上の被造物であり、諸々の共同体の中に生き、常識・共通感覚(sensus communis)・共同体感覚を賦与されている。自立的ではなく、思考(「ペンの自由」)のためであっても相互の仲間(company)を必要とする= 『判断力批判』第一部、美学的判断力」(12)。
すでに述べたように、アレントが目指す「カントの政治哲学」にとって重要なのは、「人々(Men)」というあり方における「人間」である。では、他の二種類の「人間」はどうなのか。ベイナーとともに、少なくとも「人間(Man)」は「拒絶」されている、と言うべきなのか。
ⅲ) 実は、この問いは『講義』では答えられていない。むしろ「人類(Human species)=人類(Mankind)」というあり方で捉えられた「人間」が、「人間(Man)」と矛盾をきたすということが指摘されて、『講義』は唐突に終わっているのである。そこに至るまでのプロセスを簡単に述べよう。
 カントのフランス革命に対する熱烈な共感に満ちた態度を、アレントは「注視者(spectator)」の態度として捉える。「注視者」とは「行為(actor)」の対立概念である。出来事全体の意味を捉えることが出来るのは、その出来事に加担している行為者ではなくて、それを外から見ている公平で利害関心のない「注視者」の方である。カントによれば、道徳の観点から見れば革命とは反道徳以外のなにものでもない。だからカントが革命に共感を寄せたとき、それは道徳哲学を説くカントではなく、「注視者」としてのカントだった。しかも「進歩」を是とする「注視者」としてのカントであった。フランス革命は、カントにとって「進歩」の具現化として映ったことだろう。
 ところですでに述べたように、「進歩」の主体は「人類」である。「自然の計略」の一環としての人類である。「人類ということで、われわれが理解しているのは、無限(無際限なもの)に向かって進む一連の世代の総体である。この血統は休みなくその共通の目的に近づいている。…人類のすべての世代のどのメンバーをとってもこの目的を充分に達成することはなく、ただ種[=人類]のみがこの目的を達成する。…哲学者ならば、人類一般の目的は永続的進歩である、と言うだろう」(13)。
 したがって、「注視者」がわれわれに示してくれる歴史全体の意味とは、高度に抽象的なものであろう。個別の人間は登場せず、人類一般の足跡を描く俯瞰図の中で消失してしまうことだろう。したがって、「進歩」を信じることは、「人間」を視野から消し去ることでもある。ひいては「人間の尊厳」に矛盾することでもある。(ちなみに言えば、歴史の「全体的意味」を求めようとすること自体が、個々の事象の捨象を伴い、結局歴史の意味そのものを破壊するに至るというのが、アレントの論文『歴史とは何か』の逆説であった)。『講義』の末尾はそのことを述べて終わるのである。
 「カント自身のうちにはつぎのような矛盾がある。「無限の進歩」は人類の法則である。同時に、人間の尊厳は、人間が(われわれの一人一人が)、その特殊性のうちで見られること、また特殊なものでありながら――いかなる比較もなしに時間から独立して――人類一般を反映するものとして見られることを求める。言いかえれば、進歩の概念そのものが…カントの人間の尊厳についての考え方に矛盾しているのである。進歩を信じることは人間の尊厳に反する。さらに進歩とは、物語に終わりがないということを意味する。物語そのものの終わりは無限のかなたにある。われわれが立ち止まって、歴史家の後ろ向きの眼差しでもって回顧するような、いかなる地点もないのである」(14)。
 以上から何を引き出すことが出来るか。カントの中の矛盾である。「人類」の観点に立つカントと、「人間」の観点に立つカントとの矛盾である。そしてその矛盾をアレントは解こうとはしていない。ましてやそれらと「人々(Men)」の関連にも立ち入っていない。「完全には克服できない困難」は困難のままなのである。 また、「人間」は「拒絶」されているわけでもない。カントの歴史哲学を信用しすぎないためにも、「人間」への目配りをアレントは忘れてはいないのである。
 これまで疑問をかかげておきながら、そのいずれにもまだ答えを出してはいない。確認のために列挙しておこう。
α)なぜ「カントの政治哲学」なのか。
β)なぜ「カントの政治哲学」は「書かれざる」ものと言えるのか。
γ)なぜアレントは『判断力批判』にすぐ向かわないのか。
δ)「思考」と「判断」は、カントの問題設定とどのように関係するのか。
ε)三つの「人間」の関連はどのようになっているのか。
 これらの疑問は相互に結びついているので、それらを一つ一つ分離して答えを導き出すということは、おそらく不可能である。包括的なパースペクティヴのうちにそれらが解消されるように、アレントの見解を見ていくことにしよう。

3. 『精神の生活』第三部としての「カントの政治哲学」
 
 『精神の生活』第一部「思考」を書き終えたとき、アレントは第三部「判断」の内容を予告風に素描していた。少しその内容を見てみよう。
 まず判断という能力が、カントの『判断力批判』までは大きなトピックとは見なされなかったため扱うべき材料が非常に乏しいこと、カントは「判断」を「趣味」に関連づけたが、むしろそれはかつて「良心」と呼ばれたものに等しいこと、「習得されるだけで教えることはできない独特の才能」であることが述べられる。最後に、「理論と実践の問題」や倫理的な理論に到達しようとする試みに関連があることなどが言われた後、話題は唐突に「歴史」に移る。
 「ヘーゲルとマルクス以降、これらの問題[理論と実践の問題ならびに倫理的な理論に到達しようとする試みを指す―引用者註]は「歴史」のパースペクティヴのもとで扱われてきた。そしてその際、人類の「進歩」のようなものがあると仮定されてきた。結局われわれには、これらの問題で存在する唯一の二者択一が残されることになるだろう。われわれはヘーゲルとともに、「世界史は世界法廷である」と述べ、最終的判断を「成功」にゆだねるか、あるいはカントとともに人々の精神の自律性を主張できるか[という二者択一]が残されるのである…。
 ここでわれわれは、これが初めてというわけではないが、歴史の概念に関心を持たねばならないが、歴史という語の最も古い意味についてよく考えてみることが出来るかもしれない。それは、われわれの政治・哲学言語の多くの用語と同じく、元来はギリシア語で、「いかにあったかを語るために探求すること」を意味するヒストレイン(historein)―ヘロドトスの「在るものを言う(legein ta eonta)」―に由来する。しかしこの動詞の起源はやはりホメロスで…ホメロスの言う歴史家とは審判(judge)である。判断が過去を扱うわれわれの能力であるならば、歴史家はその過去を物語ることによって、それに審判を下す探求者である。もしそうであるならば、われわれは、いわば近代の「歴史」という偽りの神から、人間の尊厳を返還し取り戻すことができるだろう… 」(15)。
 やはりここでも「人間の尊厳」が歴史との関連で登場してきていることが目をひく。アレントが述べる「歴史」とは、たんなる歴史、近代主義的な「進歩」としての歴史だけではないだろう。かつて神と呼ばれたものの末裔がすべてそこに所属しているはずである。おそらくカントが「自然」のうちに見たもの(さらには「自然の目的論」の延長線上に見たもの)もそこに属しているはずである。だから、上の引用文でヘーゲルとカントが対立的に捉えられていることに違和感を抱いたとしても不当ではない。少なくともカントが「人類」の歴史として捉えたものは、「近代の偽りの神」と呼ばれるに相応しい特質を備えているのだから。
 おそらく『講義』が「カントの政治哲学」を主題化しようとしながら、直ちに『判断力批判』に立ち入っていかなかった理由はここにあると見てかまわない。すでに触れたように『判断力批判』は前半と後半では、その扱う主体が、「人々(Men)」から「人類」へ大きく変わる。人類と自然との理念的調和のもとに一切が再考察されるのである(もっとも、その「調和」は始めから前提されている、と言えば言えるのだが)。しかし、その後半部分は、アレントにとって避けるべき罠として映ったことだろう。少なくとも「人間の尊厳」を心にかけるかぎりは、避けるべき罠として見なすべきである。上の引用文につづいて、老カトーの「勝者の大義は神々を喜ばせたが、敗者の大義はカトーを喜ばせる」という言葉をアレントは引き合いに出している。その言葉は、アレントが「人間の尊厳」で何をイメージしていたのかを否定的な形で伝えている。つまり、「人間の尊厳」が何であるかは明確ではないにしても、それは「歴史の進歩」には決して登場しない何かである、ということは確かである。「成功」や「進歩」からこぼれ落ちる何かである(ここでは示唆することしかできないが、問題γ)は、このような道筋をたどって解決できる。そして問題β)も同様に解決できる。アレントが目指す「カントの政治哲学」は、たしかに『判断力批判』の前半に見出されるが、ただし後半の問題設定に囚われないかぎりでの前半部分なのである。そのようなものが「存在している」と言えるだろうか)。
 さて、『精神の生活』第三部の主題は、「判断」であり「歴史」である。「歴史」とは、ここでは、「物語ること」であり、端的に「語ること」である(ちなみに、「審判」を下すということも、つきつめるならば「語ること」が身にまとう一様態である)。「語る」ということは「他者」に向かって「伝達する」ことである。「伝達」がなされうるためには、伝達のこちら側と向こう側で共有されるものがなければならない。共有されるのは、伝達手段として言語だけではあるまい。「ともに存在している」という感覚、その感覚を相互に享受しているという感覚が必要である(アレントが‘Company’という語で名指したものが、それである)。その共有された感覚は、一般に感情と呼ばれる。カトーは「敗者の大義はカトーを喜ばせた(pleased)」と書いた。カントのフランス革命に対する態度の根底には、参加者にたいする「共感」があった。(歴史について)語ることは、それがいかに公平な立場からのものであっても、こうした「喜び」や「共感」といった感情を抜きにしてはありえない。それは、「語る」ことの最大の動因なのだから。他方で、『判断力批判』の第一部は、美を享受するさいの「私心なき喜び」、「適意・不適意」を主題とする。「私の気に入る・気に入らない(it-pleases- me-or -displeases-me)」という現象の普遍妥当性が中心のテーマである。そしてその感情に基づいた「他者への伝達」が鍵を握る概念である。この関連のうちに、アレントのカント解釈に込められた深い意図を感じ取れないだろうか。「歴史」を「物語る」という行為に何が含まれているか、この問題を質していったときに、アレントの眼に『判断力批判』が通常とはまったく違う外観のもとで立ち現われてきたのではないか。
 実際、『講義』がほとんど語っていないこの点について、1964年の「カントの政治哲学」と題された講義はかなり立ち入った省察を試みていた。この点は後で述べるとしよう。この点のみならず、『講義』は『判断力批判』第一部の内容について何故か多くのことを言い落としている。それは、「注視者」の優位性という考え方から、即座に「共通感覚」や「伝達可能性」に話題を転じているのだが、それでは『判断力批判』そのものの奥行きは伝わらない。あるいは、『講義』は多くの点について慎重に口を閉ざしている、と言うべきだろうか(何といっても、それは公刊を意図したものではなかったのだから)。いずれにせよ、『講義』は内容的に完結していない、『講義』は『判断力批判』に接近するための一つの通路にすぎない、ということは最低限言ってかまわないだろう。それを完結しているものとして扱うために、多くの誤解が生じたように思われる。
 アレントの「カントの政治哲学」は、「歴史」を「物語る」ということに何が含まれているか、を追求しようとした。「歴史」を「物語る」ためには、時間的に限定された人間的事象を「注視」しなければならない。だから「注視者」の立場に立たなければならない。ある事象の「意味」は、その事象の及ぶ全体を見通せる者にしか開示されない。行為者はつねにその全体の一部でしかありえない。行為者がある意図をもって行為を開始することによって、ある物語が開始される。だが、物語の終結は、行為者の意図したこととはかけ離れたものになるだろう。その意図が真空で実現されるのでもないかぎり、行為の地平にはたえず他者からの干渉・妨害・反撥に満ちている。だからある意図が行為として具現化されるや否や、その意図は、行為者のイニシアティヴから決定的に離れるのである。
 厳密に言えば、カント哲学はこうした行為の地平に関して述べるべきものを何も持っていない。カントの言う「歴史」は、たしかに一連の行為の帰結に関わるものだが、それを「進歩」という形で捉えるために、かえって帰結を無際限なものにしてしまう。それによって「物語」は不可能になる。「進歩とは、物語に終わりがないということを意味する。物語そのものの終わりは無限のかなたにある。われわれが立ち止まって、歴史家の後ろ向きの眼差しでもって回顧するような、いかなる地点もないのである」。
 また視点を「物語り」の発端に向けて見よう。行為者はある意図を持って行為を開始する。カントの「私は何をなすべきか」という問いは、一見行為のことを語っているかに見えるが、それはむしろ、私の「意志」の首尾一貫性に関わる(したがって行為の結末がどうなるかということは、カントにとってさしたる問題ではない。むしろ結末を考慮すること自体が退けられる)。しかも、その「私」は他者から独立した者としての「私」であって、その「私」とって、自分の意志を他者のいる場で実現するかどうかは二次的な問題である。行為として具現化した途端、意図しない関連に巻きこまれ拘束されるような「意志」は問題にならない。むしろカント的な「意志」とは、けっして行為の地平には決して現われない「意志」、決して現象しない「意志」なのである。こうした道徳的特質に「人間の尊厳」の源泉があるのだとすれば、そしてその「尊厳」を守ることが何よりも肝心であると考えるのであるならば、そのための最良の策は、意志したことを一切行為という形に具現化しないこと、であろう。だがそれによって、行為および「物語り」は始めから不可能となる。
 繰りかえすが、アレントの「カントの政治哲学」は、「歴史」を「物語る」ということに何が含まれているか、を追求しようとした。そのために「注視者」になることが求められた。だが、陥ってはならぬ罠が二つある。カントの進歩史観に同調することは「人間の尊厳」に反する、という結果を招く。逆に、「人間の尊厳」がそこで成り立つとされる道徳性の尊重は、行為への具現化をすべて排除し、行為への、あるいは物語りへの通路を予めふさいでしまう。だから「第四講」の末尾で示された三つの「人間」像のうち、「人類」としての人間と単数定冠詞つきの「人間」は、相互に排除し合いながら、「歴史」を「物語る」という行為を大幅に制約してしまう。したがって残るのは、「人々(Men)」の地平である。これがアレントの語る「カントの政治哲学」の地平である。
 もう一度繰りかえすが、アレントの「カントの政治哲学」は、「歴史」を「物語る」ということに何が含まれているか、を追求しようとした。「物語る」ためには、行為者の地平を脱して「注視者」の立場に立たなければならない。「注視者」と「行為者」の区別は、観想的(理論的)生(vita contemplativa, bios theoretikos)と活動的生(vita activa)の古来からの区別を背景にしたものである。したがって「注視者」になることは「理論家」になることである、と言ってもかまわない。
 だが、「物語る」ということは、それ自体一つの行為である。「人々」に向けての行為である。そのかぎりで「人々」の地平に降り立っていくことでもある。言いかえれば、現象の世界に戻ろうとすることである。このことは『講義』で強調されているわけではないが、外すことのできない論点である。いま「物語る」を「判断する」に換えてみよう。アレントが「判断」に帰そうと考えていた特質は複数あるが、「人々」の地平に降り立つという契機はその最も重要な点ではないかと思われる。いくつかの手がかりのなかで最も決定的なのは、『精神の生活』第一部「思考」の「一者のなかの二者」の最後の個所である。
 「個別的なものを判断する能力(カントによって明らかにされたのだが)、「これは間違っている」とか「これは美しい」等と言う能力は、思考の能力と同じではない。思考は、不可視なもの、不在である事物の表象を扱う。判断は、つねに個別的なものや身近なものに関わる。しかし両者は、意識と良心がそうであるように、相互に関連している。思考―沈黙のうちになされる対話の「一者のなかの二者」―が、その差違を、意識のうちに与えられるわれわれのアイデンティティーのなかで実現し、それによってその副産物としての良心に帰着するとすれば、思考の解放的効果の副産物としての判断は、思考を実現し、それを現象の世界(そこで私は決して一人ではなく、つねに忙しすぎて思考することが出来ない)のなかで明瞭なものとする」(16)。
この個所は、『精神の生活』の精髄のような個所であり、この個所をそれだけ取り出しても理解が困難である。だからその内実をなるべく簡単にまとめてみよう。
ⅰ)アレントが言う「思考」とは、現象世界からの「ひきこもり(withdrawal)」によって特徴づけられる。この独特の規定は、エリック・ヴェイユのカント解釈に多くを負ったものである。「現象」と「物自体」との区別に照応する形で、ヴェイユは「認識」と「思考」を峻別した(17)。「思考」は、現象には関わらない。事実にも(科学的)真理にも関わらない。むしろ事実や真理の「意味」を求めるのである。「意味」は思考されるだけであって、認識されるのではない。それでも人間は、事実や真理の「意味」を求めざるを得ない。ヴェイユ=アレント的に読みかえるならば、カントが認識の限界を明示することによって果たしたのは、(カントが望んだように「信仰」に余地を残すことではなくて)「思考」に相応しい場を与え返すことだった、となるだろう。いずれにせよ、この「思考」は、現象世界に関わる活動とは原理的に異質なものなのである。
ⅱ)ただし「思考」には別の側面がある。プラトン的に言えば「自己自身との無言の対話」という側面である。その規定は、さらに自己自身との首尾一貫性を求めたソクラテスの「一人でいるとき自分自身と調和しないくらいならば、全世界と調和しないほうがましである」という言葉にまでさかのぼる(アレントはここに「定言命法」の原型を見る)。ここに見られるアイデンティティーにおける差違の構造を、アレントは「一者のなかの二者」と呼び、そこに「意識(conscioussness=ともに知ること)」活動の、ひいては「良心(conscience)」の原型を求めるのである。(だからアレントにとって、人間の尊厳=道徳性は、「思考」に求められるのである)。
ⅲ)だが、「思考」において、私が問うものであり同時に問われるものになるという「二者性(duality)」とは、「人間が本質的に複数性において存在している」(18)ことの内面化であろう。人間の複数性という条件がなければ、自己との無言の対話としての「思考」も成り立たないであろう。「思考」の出生地は、実は、「人々(Men)」にあるのである。「交際[人々との交わり]は思考する者にとって不可欠である(Company is indispensable for the thinker)」。ただしこのことは、いったん「思考」が自由にその活動を開始できるようになるや、たやすく忘れ去られるという忘恩の憂き目にあうわけであるのだが。
ⅳ)「思考」は本来、現象世界とは関わり合いを持たないはずのものであるが、しかし例外はある。「思考」がそのままの形で世界のなかに立ち現われたような例が。アレントの念頭にあるのはつねにソクラテスである。その「産婆術」や「無知の知」の破壊性。そのいずれもが、「思考」が無媒介的に世界と接触し、「思考」が「行為」そのものと化した稀有な例である。そしてあえて言えば、「思考」が「政治的」になった稀有な例である。「思考」は、概念的一般性の世界から脱し、特殊で個別的な現象からなる世界に直面する。そのとき「思考」が発せざるを得ない言葉、それが「これは間違っている、これは美しい」というタイプの言明なのである。これこそカントが『判断力批判』で扱った言明であった。
ⅴ) アレントの「判断」とは、「思考」が例外的に帯びる一様態である(だから両者は「異なった能力」ではあるが、密接に関連している)。それは、「行為」と化した「思考」であり、「自己との無言の対話」で尽きることなく、「人々(Men)」に向けられる「思考」であり、「人々」に働きかける「思考」である。
 ⅰ)で述べたことを想起して、「認識」が働く領域をかりに「感性的なものとしての、自然概念の領域」と呼び、「思考」の領域を「超感性的なものとしての、自由概念の領域」と呼ぶとしよう。するとつぎの『判断力批判』の「序論」におけるカントの言葉は、アレントが言う意味での「判断」にそのまま当てはまることが容易に判るだろう。
 「感性的なものとしての、自由概念の領域と、超感性的なものとしての、自由概念の領域との間には、見通しがたい裂け目が厳然としてあり、前者の領域から他方の領域へは(それゆえ理性の理論的使用を介しては)いかなる移行も可能ではなく、あたかも二つの違った世界があって、前者が後者になんら影響を与えることができないかのようであるが、にもかかわらず、後者の世界は前者の世界に影響を及ぼすべきなのである。つまり自由概念は、自らの法則によって課せられた目的を感性界において実現すべきである…」(19)。
 この地点でアレントの「判断」とカントの「判断」は交差する。この地点とは、「思考」が「裂け目」を飛び越え、じかに世界と接触する地点でもある。そしてまた、カントの「人間(Man)」が、「人々(Men)」の地平に姿を現わす地点でもある。「人々」の地平は、現象の世界、ものが「現われる」世界でもある。その世界を共有することが、「人々」の生である。「現われ」の最も顕著な形態の一つが「美」である。「美」についての判断、それは「人々」が共有する世界において「現われる」ものを「思考」することなのである。同様のことは「善」に関しても言える。カントは、「善」が「超感性的なものとしての、自由概念の領域」に限定されるべきだとは考えていなかったのである。そう考えていたとしたら、そもそも『判断力批判』を書こうとはしなかっただろう。したがって、ベイナーのように「円熟期のカントにとって、道徳性は理性の領域にしっかりと位置づけられているのであって、趣味の領域に位置づけられているのではない」(20)という理由で、アレントの読み方を退けることはできない。カントは、ベイナーが考えるほど融通の利かない厳格主義者ではなかった。
 アレントの『判断力批判』の読み方は、原理的なレヴェルで見るならば、カントの意図に忠実すぎるくらい忠実である。「認識」と「思考」の厳密な峻別も、「思考」の(いわば)現象形態としての「判断」という位置づけも、カントの意図通りである、と言うほかはない。ただし、「判断」をいかなるパースペクティヴに置くかという点で、両者は分岐していく。カントは、先ほどの引用個所につづけて、つぎのように述べていた。
 「したがって自然は、自然の形式の合法則性が、自由の諸法則にしたがって自然のうちで実現されるべき諸目的の可能性と、少なくとも合致しているというふうに、考えられることができなければならない」。
 つまり、単純化すれば、自然(の法則)は自由(の法則)と合致する、と考えなければならない。思考されたものは自然のなかで実現されるはずだ、なぜなら思考と自然は調和しているはずであるから、と考えなければならない。この「自然の目的論」に対する信念がカントの若い頃からの信念であったことはすでに見た。そしてアレントがこの信念に与しないことも見た。したがって、アレントは、カントの批判哲学の大枠を忠実に守り、『判断力批判』のうちに「カントの政治哲学」の可能性を見て取るのだが、ただしそこに蔽い被せられた理念の衣を剥ぎ取ったうえで、なおも残ったものを「カントの政治哲学」と呼ぼうとするのである。だから、その意味では、「カントの政治哲学」は「書かれざる」ものだった、と言わざるをえないのである(以上によって、β)からε)の疑問に対する解答のアウトラインが示唆されたと言っていいだろう)。
ⅵ)一つの論点を補足したい。晩年のアレントは、カントをソクラテスと類比的に考えようとした(『講義』第六講、第七講)。共通点は、「思考」の政治性である。ソクラテスの産婆術や「無知の知」がいかに戦闘的性格を帯びうるかについては多言を要しない。吟味なき生は生きるに値しないという信念のもとで、無知・偏見を吟味の篩にかけることにソクラテスの生涯は費やされたのだが、ソクラテスはつねに誰かとともに吟味を行った。その誰かが貴重な子供を産み出すことを望む産婆として。
 「ソクラテスが実際にしたことは、思考過程―私のなかで、私と私自身との間で、無言のうちに進行する対話―を、議論において公共のもの(public)とすることであった。ソクラテスは、フルート奏者が晩餐会で演奏する(performed)ように、市場で思考を行った(performed)。それは純然たる行為(sheer performance)、純然たる活動である」(21)。
 「純然たる行為」とはいっても、それは見られ、聞かれ、共有されるための行為である。ソクラテスは、思考という行為は、このように行為と化した―人々に享受され共有される―思考とならなければ意味がないと考えていたかのようである。「人々」との交わりがなければ、思考は根無し草になってしまうと考えていたかのようである。つまり、「交際[人々との交わり]は思考する者にとっても不可欠である」と考えていたかのようである。
 カントにおいてソクラテスの産婆術に対応するのが「批判的思考」である。それはあらゆる偏見を篩にかけ破壊していった(メンデルスゾーン言うところの「一切の破壊者(Alles-Zermalmer)」としてのカント)。この側面はよく知られている。「啓蒙主義」が政治的と言ってもよい性格を有していたことも多言を要さない。しかしアレントがより注目するのは次のことだった。「書斎人」「大学人」カントは、ソクラテスのように「市場」に出かけていくことはなかったにせよ、(当時のプロイセン政府のもとで沈黙を余儀なくされていた)数少ない読書人との結びつきをたえず念頭においていた。言論弾圧を批判するという文脈でカントが述べたことは、哲学史の中で実に稀有なものであった。アレントはカントの『思考の方向を定めるとは何か』の一節を引用する。
 「言論や執筆の自由は当局者によってわれわれから奪われることがありうるが、しかし思考の自由は当局者によって奪われることはありえない、と言われる。しかし、もしわれわれが、自分の思想を他者に伝達し、また他者もその思想をわれわれに伝達するような、そうした他者との共同体の中で思考しなかったならば、われわれはどれほどよく、またどれほど正しく、思考するであろうか。したがってわれわれは、人間からその思想を公共的に伝達する自由を奪う外的権力は、同時にその者の思考する自由をも奪う、と言ってもかまわないだろう。この思考する自由は、市民生活においてわれわれに残された唯一の財産であり、これによってのみ、現下の状態における一切の害悪に対する療法が講じられうるのである」(22)。
 ここから、二重の意味で、カントの思考の政治的特質が読み取れる。カントは共同体に向かって、共同体のために自らの思考を語っている。カントはつねにそのことを行っていたのではないだろうか。しかもそれは、その思考も、「他者の共同体」がなければ、そのなかでの伝達行為がなければ、可能ではないとカントが考えていたからだった、と言えるのではないか。カントの「思考」はソクラテスのあの「純然たる行為」と同質のものではなかっただろうか。アレントはそれらの疑問に対して、すべて肯定的に答えるように思われる。
 「人々」の中で、「人々」に向かって「思考」すること、それはむしろ「判断」と呼ばれるにふさわしい。判断は、公共性、伝達、他者との共同体を前提にしてこそ成り立つ。これが『判断力批判』第一部で述べられていることである。そろそろ、アレントのカント解釈の本筋に立ち入らなければならない。

4. 判断・政治・物語り

 すでに述べたように、『講義』は内容的に完結したものと見なすことができない。最大の欠落は、「カントの政治哲学」の「政治」なるものの意味合いがはっきりと語られていない点にある。また『講義』が『判断力批判』で取り上げているのは、わずか三九節から四一節までの「共通感覚」の部分だけであることも、その読解の不完全さを印象づける。『判断力批判』第一部全体に対する見通しを与えているとは言えない。さらに歴史を物語る条件として一面的に「注視者」の立場の優位性が強調されているが、「物語る」という「行為」に焦点を合わせた分析は控えられている。したがって『精神の生活』との関連はきわめて希薄である。
 だが1964年にアレントがシカゴ大学で行った「カントの政治哲学」と題された講義のノート(23)は、まだまったく荒削りな素描ではあるが、アレントのカント解釈がきわめて奥行きの深いものだったことを示している。いまこの講義ノートも参照しながら、「カントの政治哲学」を構想したときアレントの念頭にあったことを整理してみたい(この講義ノートは通し番号032245~032298の未発表原稿である。引用の際にはその通し番号を明示する)。
 『判断力批判』第一部は美的現象を扱うわけだが、そのさい芸術作品の創造のプロセスや芸術の定義といった美学的問題に関心を注いでいるわけではない。そもそも「芸術」自体に重きが置かれているわけではない。人為的なものであれ自然のものであれ、あるものがいかにして「美しいもの」と判断されるか、そのことだけが問題とされるのである。美的なものが享受されるプロセスだけが問題とされる(だから『講義』は「注視者」の優位性を説くことによって、『判断力批判』とのつながりをつけようとしたわけだが)。あるものを知覚して「美しい」と判断するとき、そこで何が生じているのか。まずカントの考えを簡単に紹介しよう。
ⅰ) 何よりもまず、感官に対する刺激のレヴェルでの「快い」という感情(「適意」)が先立たなければならない(Wohlgefallen,pleasure)。
ⅱ) あるものが「快い」と感じられ「美しい」と判定されるとき、そのものに対する「関心」は混在していない(「無関心的な適意」)。「関心」とは通常、ものの有用性や手段的効用に向かうものであるならば、美の判定においてそのような関心は消え去り、純粋にものの「現われ」が享受されるのである。
ⅲ)しかしカントの考え方を特異なものにしているのは、「…は美しい」という判断が、純粋に主観的な感情を起点としているにもかかわらず、ある種の「普遍妥当性」を備えているとされることである。私があるものを「美しい」と感じるとき、私は、「それは私にとっては美しい」と言っているわけではない。そのような言い方は「笑うべき」であろう。なぜなら、
 「あるものがたんに彼の気にいる場合、彼はそのものを美しいと呼んではならないからである。彼にとって多くのものが魅力的であり、快適であるかもしれないが、誰もそれを気にかけない。だが彼がなにかを美しいと称するならば、彼は他の人々にも同じ適意を期待している。つまり彼はたんに自分に対してだけ判断しているのではなく、あらゆる人に対して判断しているのであり、この場合は美について、それがあたかも事物の性質であるかのように語るのである」(24)。
美についての判断には、あらゆる他者の同意に対する期待が込められている。「私にとっての美」というものはありえない。私が「美しい」という言葉を使うときには、つねにすべての他者のことが考慮に入れられているのであり、普遍的同意に対する要求が込められている。その意味で美的判断は、普遍妥当的なのである(ただし、あくまで「主観的」な意味での普遍妥当性である。美的現象は個々人の感情を起点とするものであるから、「客観的妥当性」は問題になりえない)。
ⅳ)私の美についての判断には快の感情があるが、それは主観的なものにすぎない。ただしその感情を「美しい」という述語で表現するときには、あらゆる他者のことを考慮に入れているはずである。他者の同意に対する要求を言い表すために、カントは「普遍的伝達可能性」(die allgemeine Mitteilbarkeit, general communicability)というやや生硬な言葉を九節で導入する。「伝達する」という動詞は、ヨーロッパの言語の場合つねに、「共有する(分けもつ)」という意味合いをもつ。普遍的妥当性の要求とは、私の感情が、ほかの誰に対しても伝達でき、共有されうるということに対する期待であり願望である。カントは、私的な感情の根底に、こうした伝達・共有への期待を見出す。
ⅴ)この「伝達・共有」の期待に際していかなることがわれわれの心の中で行われるのか。それを形式的に言いあらわすと、四十節で「拡張された考え方の格率」と呼ばれたものに帰着する。それはつぎのように特徴づけられる。
 「人が自分の判断をほかの人々の、現実的なというよりはむしろたんに可能的な判断と照らし合わせて、われわれ自身の判定に偶然的に付きまとうさまざまな制限だけを捨象することにより、ほかのあらゆる人の立場に自分を置き移すこと」(25)。
 この心の働き(カントは「反省の働き(Operation der Reflexion)」と呼ぶ)は、このように書き記すと、何か抽象的な感じを与えるだろうが、誰もが「自然に」行っていること、心の自然な働きである。われわれの感情の根底にあって、つねに他者の存在を顧慮するよう要請するもの、カントはそれを「共通感覚(sensus communis)」と言い表わす。さらにまた‘gemeinschaftlicher Sinn’という言い方もするのだが、『講義』のアレントはためらうことなく、それを「共同体感覚(community sense)」と訳している(26)。1964年の講義ノートの言い方を借りるならば、ここで問題となっている「共通感覚」とは、「他者が存在していることをアプリオリに示す感覚」なのである(032270)。
 以上のことに基づいてアレントが『判断力批判』から読み取ろうとしたことを、1964年の講義にそくしてまとめてみたい。
(Ⅰ)『判断力批判』の出発点は、つぎのような「世界」である。「世界」とは、人間が生きる場である。人間とは、ここでは「複数形の」人間、「人々(Men)」である。世界は、もろもろの「現象=現われるもの」から成り立っている。「現われ」のもっとも顕著な様態が「美」である。美とは、現象が、いわば、最も現われ出る時の様態である。美しいものは、私が他者と共有するかぎりで、現われる。美のリアリティーは、他者との共有を背景にして維持される。この現象に対応する精神の能力が「快・不快」である。快・不快とは、私が生きていて(alive)、現象からなる世界の生きたメンバーであるかぎりで、私が反応する仕方なのである(032258)。
(Ⅱ)これらの点は当たり前に思われるかもしれないが、他の批判書で、こうした人間観・世界観はどこにも見当たらない。『判断力批判』の出発点は「世界であり、感覚であり、人間(複数形)を世界の住人に相応しくする能力である」(032259)。それに対して「人間(Man)」やその意志は現象世界に現われない。「善」そのものも、決して美しいものとして現われることはない。『判断力批判』のこうした前提こそが、アレントにとって、同書の前半部分を「政治哲学」として読もうと駆り立てたものであった。
 続けてつぎのように書かれている。「これは多分まだ政治哲学ではないだろうが、その不可欠な条件である。もし、世界(地球)を共通に所有することで相互に結び付けられている人々が交渉をしたり交流をしたりことのうちに、アプリオリな原則が存在するということがもし発見されるならば、人間は本質的に政治的な存在であるということが証明されるだろう」。
ただしここで注意しなければならないのは、「政治」ということで「支配」といったことを考えてはならない、ということである。まさにこの点が、人々の読み方を誤らしめた原因なのである。支配形態がいかなるものであれ、この地上で人々が営む生のあり方には一定の不変性がある。たとえばカントの言う意味での「共通感覚」の不変性がある。そのほうがよりいっそう根源的に「政治的」と言えるのではないか、とアレントは自問する。
 「なぜ私は『判断力批判』を選んだのか、そして、もし私の思い違いでなければ、なぜこれまで誰もそうしなかったのか。『判断力批判』が政治哲学に属するなどと考えてみなかったにちがいないカント自身も含めて、なぜ誰もそうしなかったのか。私は古くからある偏見に言及した。つまり、政治とは、支配や統治に関わるものだという偏見に。誰が誰を支配するのか。統治の諸形態。一人‐による‐支配(One-man-rule)あるいは君主制。一人が全員を支配する。少数独裁制。少数派が多数派を支配する。民主制。多数派が少数派を支配する。これらは、『判断力批判』のどこにも見当たらない。われわれが扱っているのは、そうした支配形態が可能ではない、ともにあることの一形式(a form of being together)なのである。誰も支配せず誰も服従しない、平等な者達からなる社会なのである」。
 「利害」や「権力」についての同じ趣旨のことが述べられる。つまり、それらが従来の政治理論では重視されてきたのに、『判断力批判』ではかえって退けられたことを述べた後で、講義ノートはつぎのように続ける。
 「このように言ったからといって、利害や権力や支配がきわめて重要な概念であることを否定つもりはないし、それらが政治の中心をなす概念ですらあることを否定するつもりもない。問題は次の点である。それらの概念は根本的な概念であるのか、それとも、ともに生きること(the-living- together)から派生したものであって、このともに生きること自体は別の起源から発するものであるのか」(032272)。
 この最後の二者択一のどちらをアレントが選ぶかは、もう言うまでもない。最後の「別の起源から発する」のところに、鉛筆書きで「人々との交わり―行動(Company  ― Action)」と補足されている。さらにその下に「伝達可能性(communicability)」という書き込みがある。
 これは政治概念の思いもよらぬ拡大であり、たしかに「書かれざる」「存在していない」「カントの政治哲学」であろう。カント自身にとっても思いもよらぬ政治哲学である。それは、カントを含め誰も書かなかったもの、文字通り「存在していない」ものである。したがって「カントの政治哲学」とは、いわば、未来の書である。だが間違いなくその核心は『判断力批判』に書かれているのである。そこでの鍵となる少数の概念に基づいて「政治的なもの」をゼロから構築しなおすこと、それが最晩年のアレントが自らに課した課題であった。そのために『判断力批判』を、いまだ書かれざる未来の書として読むこと。魅惑的だが、危うい課題でもあっただろう。この危うさは、「存在しないもの」に対する眼差しを共有するよりも、既存の政治理論を盾にしてアレントの誤読を指摘するという解釈者の一般的な姿勢のうちに、端的に示されているように思われる。
 いずれにせよ、冒頭に掲げた「なぜ政治哲学なのか」という疑問には、つぎのような答えしかない。つまり、アレントは「ともに生きること」のうちに「書かれざる政治哲学」の原理を見出そうとした。その原理は、カントの『判断力批判』において、この上なく明瞭に(だが意図されることなく)表現されている。だから「カントの政治哲学」について語ることは、「政治的なもの」についての偏見に囚われることがなければ、そしてカントの自己了解にも囚われることがなければ、当然なされるべきことなのだ、と。
(Ⅲ)最後に、歴史を「物語る」という行為に何が含まれているのかという、『精神の生活』に直結する論点について述べておくことにしよう。 
 『判断力批判』は、「現れるもの」からなる世界と、それに対応する「精神の能力」としての「快・不快」の感情を対置させながら、それに基づいて、美についての判定が事後的に付け加えられるかのような書き方をしていた。
ところが九節は、「快の感情が対象の判定に先立つのか、それとも後者が前者に先立つのか」と問いかける。ここで言う「判定」とは、あの普遍的同意の要求を伴う判断のことである。「快の感情」が先立つとすれば、それは、まだまったく個人的な感情、感官の残響を含んでいるような感情であり、それに基づく判定は個人的妥当性しか持ち得ないだろう(そもそもそのような感情は伝達されえない。私が言いうることは、せいぜい「気に入った」程度のことである。それは伝達の体をなしてはいるが、実は伝達を打ち切ることなのである)。したがって、カントによれば、判定の方が「快の感情」に先立っていなければならない。ただし、その判定は「概念」による判断ではない。普遍的同意への期待である。あるものを前にしての私の心の状態(悟性と構想力とが自由に戯れている状態)が、すべての人に妥当し、したがって普遍的に伝達可能でなければならないと意識することである。判定に際して、私が自分の主観性を伝達できるという事実がまず先立って、そこから快の感情が生まれるのである。したがって、「快でありうるものは、伝達可能性である」、「快は、伝達可能性から生ずる。私が伝達できるところではどこでも、私は快をもつ」という結論が導き出される(032279)。
 「快は、伝達可能性から生ずる」。ただしこの伝達にはいかなる関心や利害も関与していない(「無関心な適意」)。そこにはいかなる目的も付随していない。目的があるとすれば、伝達するというただ一つの目的があるだけである。 伝達のための伝達があるだけである。なぜそうなのか。そのために人間が存在しているからである。『講義』が何気なく指摘していたことだが、
「伝達可能性は明らかに、語り掛けられうる人々や、傾聴したり傾聴されたりする人々の共同体を含意している。なぜ人間(Man)というより人々が存在するのかという問いに対して、カントならば、人々が互いに語り合うために、と答えただろう」(27)。
 「語り合うこと」は、人間(複数形)にとっての最終的な存在理由である。語り合うことは、とりもなおさず、生きていることの証しである。美的な判定という形での伝達のもとで、人々は、それ以上遡れない事実、自分が「生きていて、現象からなる世界の生きたメンバーである」という事実に立ち戻り、この事実をあらためて享受し、この事実に快を感じる。そのとき、人々は、自分が人間としてこの世界に生きているという単純このうえない事実をもっともよく感じ取れるからである。
 「趣味判断の美的な対象が選び取られるのは、その対象が、語られるという目的以外の目的を何らもっていないように見えるからである… われわれが現象を現象として判断するときほど、感性的世界のメンバーであるときはなく、人間の社会のメンバーであるときもない。人生における喜びの大きな源としての伝達可能性について言えば、「悲しみはすべて、それを物語りにしたり、それについての物語りを語るならば、耐えられるものである」というアイザック・ディーネセンの言葉を思い出してほしい。つまり、もしあなたが伝達するならば、悲しみはすべて耐えられる、ということである。死別の悲しみですら、もしそれが語られるならば、喜びの要素を持っているものである」(032279~80)。
 「物語り」にとって不可欠な構成要件とは、起承転結といった形式性にあるのではないだろう。人々に向かって伝達するというたった一つの要件があれば足りる。その行為がもたらす快という感情が、他のすべてを規定するのである。
 これまで述べられたことはすべて、「思考」を出発点として構想された『精神の生活』の枠組みのなかで評価されなければならない。冒頭で述べたように、『精神の生活』は(おだやかな意味において)カントの三批判書に対応する仕方で構成されており、「思考」、「意志」、「判断」の三部からなる予定であった。ただしカントの『実践理性批判』の「意志」は、アレントにとって「思考」の枠組みに吸収されるべきものと見なされた。さらに「判断」ですら「思考」の一契機であることも、すでに述べた通りである。したがってアレントの『判断力批判』の読解も、「思考する者」に定位してなされている。「共通感覚」に関連する諸概念が強調されていたとしても、「常識哲学」の復権などは問題ではない。ガダマーのように、アリストテレスの「フロネーシス」の復権を目論むことも問題ではない。アレントは、「人間の精神」の精髄としての、「思考」のあり方を問題にしているのである。「人間の精神は、人間の共同体の外側で機能することはないだろう。交際[人々との交わり]は思考する者にとって不可欠である(Company is indispensable for the thinker)」。このアレント自身が強調した部分が肝心なのである。思考は、現象世界から退き、それ固有の探求、「意味」を求める探求に没頭した後、ふたたび自らの出発点に戻ろうとする。そして、つねにそこにあった単純な事実をふたたび見出そうとする。思考の源であった他者の存在を、「人々」に語りかけるという行為を、その行為の喜びを。
 カトーは、「敗者の大義はカトーを喜ばせた」と書いたとき、その単純な事実の地平に戻り、自らの仲間に向かって言葉をかけているのである。もはや存在せぬ仲間に向かってではあるが。そのとき、人間の精神は「判断」に向かう。ディーネセンによれば、そのときが「審判の日(the day of judgment)と呼ばれるもの」なのである(28)。


1. Ronald Beiner and Jennifer Nedelsky(ed): Judgment, Imagination, and Politics. Themes from Kant and Arendt., 2001.
2. Hannah Arendt: Lectures on Kant’s Political Philosophy,p.19.
3. Ibid.,p.10.
4. Ibid.,p.8.
5. Ibid.,p.17.
6. Ibid.,p.13.
7. Ronald Beiner: Rereading Hannah Arendt’s Kant Lectures, in Judgment, Imagination, and Politics. Themes from Kant and Arendt.,.
8.  Hannah Arendt: Lectures on Kant’s Political Philosophy,p.19.
9.  Ronald Beiner: Rereading Hannah Arendt’s Kant Lectures,p.93f.
10. Hannah Arendt: Lectures on Kant’s Political Philosophy,p.27.
11. Ibid.,p.12.
12. Ibid.,p.26f.
13. Ibid.,p.58.
14. Ibid.,p.77.
15. Hannah Arendt: The Life of the Mind,p.216.
16. Ibid.,p.193.
17. EricWeil: Pensee Et Connaitre, La Foi Et La Chose En Soi,in Problemes kantiens .
18.  Hannah Arendt: The Life of the Mind,p.185.
19. Immanuel Kant: Kritik der Urteilskraft, Kant-Studienausgabe BandV ,247.
20. Ronald Beiner: Rereading Hannah Arendt’s Kant Lectures,p.95.
21. Hannah Arendt: Lectures on Kant’s Political Philosophy,p.37.
22. Ibid.,p.40-1.
23. http://memory.loc.gov/mss/mharendt_pub/04/040730/
24. Immanuel Kant: Kritik der Urteilskraft ,290.
25. Ibid.,389.
26. Hannah Arendt: Lectures on Kant’s Political Philosophy,p.71.
27. Ibid.,p40.
28. Hannah Arendt:Between Past and Future,p.262.

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