SSブログ

『技術への問い』における「危機について [最近の論文]

『技術への問い』における「危機」について

[1] 以下では、ハイデガーの『技術への問い』を考察する。この作品は、短編ながら、暗示的な語り方が目立ち、論証の飛躍も目立つ。そもそも論証というものがあるのかも不明なほどである。したがって短いスペースで、この作品の全体像を伝えることは不可能であるし、その概略を述べることすら困難である。むしろ以下ではあえて主題を一点に絞ることにする。『技術への問い』の主題は、「技術とは何か」である。しかし『技術への問い』は、そのような問いが読み手に期待させる回答を一切与えない。そのかわりにハイデガーは、“Gestell”という語を創り出し、ついで「危機」という、それ自体「技術」とは何の関連もない語を、「(現代)技術の本質」を表わすものとして持ち出してくる。これでは、およそまともな論証の道筋とは映らないだろうし、この作品はそもそも何を「問いかけ」ているのか、それすら捉えがたいものとなる。この素朴な疑問が、以下の論述の出発点であり、一体この作品が語る「危機」とはいかなる実質と奥行きを持つものか、それに答えることが以下の課題である。

[2] たとえば「現代技術」がはらむ「危機」といった言い回しは、20世紀になって頻繁に使われてきたし、これからも際限もなく繰り返されるであろう。しかしそのような常識化した意味内容を、『技術への問い』が語る「危機」はほとんど持っていないように思われる。人間にとっての脅威は、「致命的な作用を及ぼしうる機械や装置類」からやって来るわけではない(1)。では何が脅威だというのか。『技術への問い』が語る「危機」とは、ある意味で非常に古色蒼然としたものに映るし、より悪いことに、まるで見当はずれのものにさえ見えるだろう。「危機」という言葉が『技術への問い』において初めて登場するとき、それは次のような文脈においてだった(2)。つまり、あらゆるものが原因‐結果の関連で現われるところでは、神でさえもその聖なるものをすべて失いうる。それは巨大な「製作者」、つまり「創造主」として現れるだろう。「神は、因果性の光のもとで、一つの原因に、始動因に成りさがることもある。そして神学内部では、哲学者の神、つまり、あらわなるものと隠されているものを作為の因果性(Kausalitat des Machens)にしたがって規定する者にさえなるだろう…」。同様に、自然が計算可能な諸力の作用連関として把握する自然観は、たしかに「正しい(richtig)事実認定」を可能にするが、しかしそれは、真なるもの(das Wahre)がかえって退いてしまうという危機(Gefahr)を放置する。「より根源的で」「より始原的な真理」を経験することが人間に拒まれていること、これは数あるうちの一つの危機なのではなく、まさに「危機そのもの(die Gefahr)」だと言うのである。
さて、この個所は幾つかの疑問をただちに誘発する。
1) ここには事実のレヴェルで成り立つ「正しさ(Richtigkeit)」と、「真理(Wahrheit)」との区別についてのハイデガーなりの見解が前提されていることはもちろんだが、『技術への問い』においては真理概念についての主題化はほとんどなされていないのだから、この作品に視野を限定する限り、この「危機」についての言明はほとんど理解しがたいように思われる。『技術への問い』は、あくまで技術を主題にしているのだから、肝心な個所に差しかかって、なぜ論述が「真理」概念へと屈折してゆくのか。これは論点のすり替えではないか。
2) (近世以前の)神学的体系においても、(近世以降の)自然科学の体系においても、いずれも「真理」を欠落しているという意味での「危機」はあった。その当否はともかく、そのことと、「技術」への「問い」という文脈において登場する「危機」が一体何の関係があるのか。これまた論点のすり替えではないか。
3) 神学の体系と自然科学の体系を、「同様に」という接続詞でいとも簡単に並列・同等視するような扱いはナンセンスではないか。いかなる歴史観によってそれを正当化できようか。
4) そもそも「(現代)技術の本質」を求めるはずだった論述が、「危機」という語に行き着くのは、これまた論点のすり替え、あるいは理不尽な飛躍と言うべきものではないか。
おそらく疑問点はまだいくらでも列挙できるだろうが、これだけでもすでにこの試論の範囲を超え出ている。4)の疑問点が、『技術への問い』の道筋全体に関連しているので、この点を明確にすることを先決問題とする。1)はもっとも重要であろうが、この試論で扱いきれる論点ではないので、以下では主題的に立ち入ることはできない。しかし最終的にはこの論点に帰着すべきであるのだから、最後に立ち戻ることになるであろう。以下の論述は、1)の論点に至るための道筋を提示するものという意味で受けとめていただきたい。

[3] さて、4)の疑問点に答えるためには、『技術への問い』において「技術(の本質)」がいかに規定されているか、まずその点に立ち入らなければならない。なるべく簡潔に整理してみたい。
α) 『技術への問い』は、まず、技術の本質が、古代ギリシャにおいて、道具的なものにあるのでもなく、因果論的な関連にあるのでもないこと、むしろプラトンの「ポイエーシス」の規定が示唆しているように(あるものが「存在しないものから存在するものに移行する原因をなすもの」)、蔽われ・隠されているものを明るみにもたらすこととして考えられていた、ということを議論の大前提として確認する(3)。「技術」とは元来、「明るみにもたらすこと(ポイエーシス)」の一様態である。アリストテレス的に言えば、その「明るみにもたらす」原理を自己自身のうちに持っているものが「自然(ピュシス)」であり、自己自身のうちに持たずその外側に持っているものが「技術(テクネー)」である。したがって「自然(ピュシス)」そのものも「ポイエーシス」であり、それどころか「最高の意味でのポイエーシス」である、と言われる。
β) ハイデガーはまた、「テクネー」という語が幅広い文脈において用いられていた事実に注意を喚起している。それは、手仕事のみならず、今日でいう「芸術(ポイエーシス)」に対する名称でもあった。そればかりかプラトンの時代において「最も広い意味での認識(エピステーメー)を表わす名前」でもあった(4)。「テクネー(技術)」、「ポイエーシス(芸術)」、「エピステーメー(認識)」、これら今日では各々異なった領域を表わすために用いられている言葉が、未分化のまま、ある種の行為連関を共に名指していた時期があった。つまり、「テクネー」という語は、今日的に言えば、「芸術」と「学問的認識」という二つの側面を包含しており、その限りで二義的であった。しかしそう言いうるのは、あくまで今日的な立場に立ってのことであって、元来そのような領域区分はなかった(少なくとも境界線は流動的であった)。それら三者を共通して貫いている核心的特徴は、すでに触れたように、「存在しないものを存在へともたらすこと(Hervorbringen=産出すること)」であり、「(あるものを)蔽われている状態から明るみにもたらすこと」である。ハイデガーは後者に対して、”Entbergen”という語を当てている。「蔽われている状態(Verborgenheit)を引き剥がして(Ent)、あるものを明るみのもとにもたらすこと」という意味合いを強調するために、ハイデガーがひねり出した造語である(きわめて訳すことが難しく、しかも肝心なのは訳語ではなく、その意味であるのだから、「エントベルゲン」と音訳する)。それは、欠性的αをもつギリシャ語の「アレーテイア(真理)」の内実を動詞的に表現するときに用いられるのであるが、その点については既知のこととして話を進めることにする。ハイデガーは「技術」の元来の意味合いを次のように単純化する。「技術とは、「エントベルゲン」の一つのあり方である。それは…アレーテイアが、真理が生起する領域において、存続するのである」(5)。
γ) このような「技術」の元来の意味を顧慮した規定に対して、次のような(当然予想される)反論が加えられる。
「技術の本質領域のこのような規定に対して、次のような反論をする人がいるだろう。それはたしかにギリシャ的思考には当てはまるだろうし、せいぜい良くて手工業的技術には適合するだろうが、現代の動力機械技術には当てはまらない。そしてまさに後者の技術だけが、われわれを不安にさせるものであり、われわれを駆り立てて「技術」へと問いかけるようにさせるものである。現代の技術は、近代の精密な自然科学に基づいているがゆえに、それ以前のあらゆる技術とは比較にならぬほど異なったものである、と人は言うだろう」(6)。
この反論を境にして、『技術への問い』は「現代の技術」に目を転じていく。現代の技術も、やはり「真理が生起する領域で存続する」のであり、その限りで「エントベルゲン」の一つのあり方ではある。しかしそれは、もはやその元来の意味、「ポイエーシス」としての産出という意味を持たない。現代の技術において支配的な「エントベルゲン」、つまり真理を開示するあり方は、自然に対してエネルギーを提供せよという要求を突きつける。それは、自然を、そこに潜む自然力を利用するという目的のために定立する(stellen)。この定立的なあり方は、自然のみならず、人間を含めたあらゆる存在者を例外なく巻き込み、その存在様態を規定する。このような現代技術の本質を、ハイデガーは、「定立」作用の多様なあり方を総称する意味を込めて、”Gestell”と名づける(これも翻訳不能の言葉である。前綴りの”Ge-”は、それが冠する語の内容を総体的に表現する働きを持つ。やはり「ゲシュテル」と音訳するだけにとどめたい)。
δ) 以上は表面的な整理にすぎないが、いまの文脈にとってはこの程度で十分である。ここで流れを一度断ち切って振り返ってみよう。以上の内容を率直に受け取るならば、大別して二つの「技術」があることになる。自然科学に立脚した「現代の技術」と「それ以前の技術(テクネー)」があることになる。実際、一方では原初的な「ポイエーシス」としての「テクネー」があり、他方には「ゲシュテル」としての「現代技術」がそれに対立しそれを隠蔽するという二元的な構図にしたがって、『技術への問い』はその論述を進めている。だがそれは多分に常識的な考え方に妥協した書き方のように思われる。γ)で引用した「反論」において「現代技術」の特異性を強調する文の主語はすべて、不定人称代名詞の「ひと(Man)」である。それ以降の論述は、このような「ひと」の言い分を認めて、「現代の技術」の特徴を把握するならば、という仮定に基づいた論述であるように思われる。たとえば、風車と風力発電装置とはまったくその性格を異にしているし、ライン河畔に現在立つ水力発電所は、昔から両岸を結びつけている古い木の橋と何の共通点も持たない。その点については誰の目にも明らかである。だがこうした明瞭すぎる対照からは、まったくありきたりな、あるいはもっと悪いことに、幻滅させる結論しか引き出されないだろう。今問題にしている文脈において、ハイデガーは古い技術をプリミティヴな手仕事というまったく狭い意味に限定しているように見える。しかし昔ながらの手仕事と破壊的作用を秘める機械文明の利器を対比させ、一方を賞揚あるいは非難することが問題ではないはずであるし(もしそうであるならば、生態系に配慮する技術の復権といった主張がなされていいはずであるが、そのような主張は見当たらない)、ハイデガー自身が考える元来の「テクネー」も、そのような限定された意味合いではない。したがって新旧の技術を対比させながら、現代の技術の本質を”Gestell”と呼ぶとき、ハイデガーは元来の「テクネー」と「現代技術」の区別を意図的に狭めている。あるいは常識的な考え方に妥協した観点で論述を進めているように見える。
ε) このことは、次のようにも言い表すことができる。先ほどの「反論」によれば、「現代の技術は、近代の精密な自然科学に基づいているがゆえに、それ以前のあらゆる技術とは比較にならぬほど異なったものである」。すでに指摘したように、古代の「テクネー」は「エピステーメー(学問的認識)」という側面と重なり合うものであるから、上の「反論」の部分は、近代の「自然科学」は古代の「エピステーメー」とは比較にならぬほど異質である、ということに等しい。したがって、その両者の間に比較を絶する断絶が成り立っているときに限って、あの「反論」は妥当するだろう。しかしそのような断絶がはたしてあったと言えるのだろうか。少なくともハイデガーはそのようなことを何も言ってはいない。ハイデガー自身は、論証を進める上での前提という以上の意味合いで、あの「反論」の妥当性を認めているわけではないのである。
したがって次のように言える。たしかに『技術への問い』は、二つの「技術」のあり方を区別しているような書き方をしているが、その区別自体が非常に曖昧である。つまり「技術」という主題概念がすこぶる曖昧なのである。その曖昧さを低減させるためには、「技術」-「科学」、「古代」-「近代」といった人目につく判別基準をどう評価するか、あるいはハイデガー自身がどのように評価しているか、という点に対する見通しを持たなくてはならない。
[3] 議論の焦点をしばらくの間「近代自然科学」に絞り込んでみよう。近代の自然科学および技術についてのハイデガーの考え方を知るうえで、『技術への問い』は、まったく暗示的な仕方ではあるが、手がかりとなるヒントをいくつか提供している。一番目につくのは、「科学」と「技術」の歴史的な関連についてどのような評価を下すべきか、という論点をめぐる発言である。
常識的な歴史把握によると、近代自然科学は17世紀に始まり(いわゆる「科学革命」)、現代の動力機械技術は18世紀の後半になってやっと始まる(いわゆる「産業革命」)。このような時間差は、往々にして、現代的な意味での「技術」は、「自然科学」を実際的に応用できるようになって本格的に推進された、という仕方で受け取られている。つまり、機械技術とは「応用された自然科学」なのだ、という受け取り方である。しかしハイデガーは、この(「歴史的に見て正しい」)受け取り方を「人目を欺く仮象」だと言う(7)。つまりそのように受け取ると、一方に純粋に客観性を追求する自然科学があり、他方にそれを事後的に人間の必要にあわせて応用・変形した「技術」がある、というイメージが生まれる。だがそれによって、近代の自然科学そのものの技術的性格が見逃されてしまう、とハイデガーは言いたいのである。自然を計算可能な力の連関として定立すること(”stellen”)それ自体が「(近代)技術の本質」(”Gestell”)を切り開いた、と言いたいのである。そしてその「ゲシュテル」としての「技術」のあり方が「危機」なのだ、と言いたいのである。
ここですぐ浮かんでくる疑問点を二つだけ指摘したい。
1) なぜこのように「技術」を拡大解釈するのか。なぜ「科学」と「技術」の歴史的関連をあえて転倒するのか。かりにこのことが、たんに「科学」と「技術」という名称を置き換えただけの気まぐれでないとするならば、何かきちんとした理由があるのか。
2) かりにその点についての理由があるとしても、そこから「危機」という概念を導き出すことは不可能であると思われる。ここで、「科学」あるいは「技術」についてのまともな論証は放棄され、いきなり予言者風の宣託に文章のトーンが変わってしまっている、と言うべきではないだろうか。

[5] 後者の疑問に対する自然な(文脈的に推定される)答えは、次のようなものであろう。「ゲシュテル」から「危機」にいたる文脈において、二度にわたってハイゼンベルクに言及されていることから判るように、この部分はハイゼンベルクの見解を踏まえて書かれたものであり、二度にわたる言及は、ハイゼンベルクの作品を参照して言い足りない部分を補足せよという要求である。したがって理不尽な飛躍のような印象を与える部分は、その文脈上の欠落を補うことで、ある程度正されるであろうから、ここでハイゼンベルクの見解に立ち入ってみなければならない。
ハイゼンベルクの『今日の物理学における自然像』は、ハイデガーが『技術への問い』を構想する上で大きな刺激を提供した。両者の共通性は、たとえば次のような点で見てとれる。前節で見たように、一方で客観性を純粋に追求する自然科学と、他方でそれを応用するだけの技術という割り振り方を「人目を欺く仮象」だとハイデガーは断じたが、他の歴史家ならばいざ知らず、ハイゼンベルクならばその見解を、賛意を持って受け入れたであろう。それは、たんに科学と技術は密接に結びついており単純に分断することはできないという理由ばかりではなく、そもそも自然科学そのものが純粋に客観性を追求するものとしてはもはや考えられない(そしてそもそもそのように考えられるべきではなかった)というのがハイゼンベルクの見解だったからである。ハイデガーは、ハイゼンベルクの視点に立って、その見解を自然科学の到達した避け難い一つの帰結として見ることによって、近代自然科学そのものを(したがって現代の技術を)より包括的な文脈に組み込もうとしているように思われる。もちろんこう言ったからといって、『技術への問い』はハイゼンベルクの二番煎じだと言っているわけではないし、両者の接点はごくわずかしかないだろう。そして両者が交差したまさにその地点で、ハイデガーは別の道に向かうのであるから、両者は単にすれ違ったにすぎない、と言うべきかもしれない。しかしいまはすこし、その交差する地点に焦点を合わせてみよう。その地点を両者は「危機」という言葉で名指している。その内実を端的に言い表すものとしては、ハイデガーも引用しているハイゼンベルクの言葉以上に適切なものはないだろう。ハイゼンベルクによれば、歴史上かつてなかったことが現実になっている。つまり、「人間がこの地上で直面するものがあるとすれば、それはせいぜい人間自身だけである」というのである(8)。

[6] この結論に至るために、ハイゼンベルクは二つの相関する状況の描写を先立てている。まず彼自身の専門である「自然科学」の状況と、その前提でもありその帰結でもある「技術」についての状況である。まず前者から述べよう。
α) ハイゼンベルクは、ある世界像の崩壊について語っている。つまり、19世紀の唯物論のあまりに単純な世界像がいかにして崩れていったのか、そのプロセスを簡潔に語っている。その世界像によれは、不変の存在者としての原子が究極の実在を構成しており、その相互的配列と運動によって感性界の多様な現象が産み出される、とされる(無論、数学的定式化の精密さという点を度外視すれば、古代から存在していた考え方ではある)。この考え方は、電気力学の発展により、物質ではなく「力の場」が主導的概念となった後でも、放射能の発見以降原子ではなく素粒子が物質の究極的な構成要素としてみなされるようになった後でも、基本的には維持された。上述の世界像の基本的枠組みを不変に保つような拡大解釈が可能であったからである。しかしその後、素粒子には、「原子」に帰されていた客観的独立性が期待できないことが判明した。素粒子のあり方について了解しようとするとき、われわれが素粒子についての情報を得る際の観測のプロセスを原理的に無視できないことが判明したからである。したがって、量子力学において数学的に定式化される法則は、素粒子「そのもの」ではなく、素粒子についてのわれわれの認識を扱っているということを、一つの原理として受け入れる他はない。したがって素粒子の客観的実在性という考え方は消え去ったが、それは、曖昧模糊とした表象のうちに消え去ったのではなく、数学的定式化の透明な明晰さのうちに消え去ったのである。その定式は、素粒子の振る舞いではなく、その振る舞いについてのわれわれの認識を示すばかりだからである。したがって原子物理学者は、「自分の学問が、人間が自然に対して取り組んできた無限の活動の一環にすぎず、自然「そのもの」について語ることは決してできない」ということに折り合いをつけなければならない、というのである(9)。
β) さて、「技術」は「自然科学」とつねに相補う仕方で進展してきたのだから(技術的な装置が科学の前提となる手段を提供し、その科学が技術の進展にとっての前提をなすという具合に)、自然科学の傾向はすべて技術のうちに反映される。19世紀の中葉までは、古い手仕事と類比的に理解することが可能だった技術も、やはり電気工学の発展とともに、その性格を決定的に変えることになる。技術の目指す方向性は、次第に自然の中の見慣れたものの取り扱いという意味合いから逸れて、経験的世界からは接近することができない自然力の利用という意味合いに変貌して行く。それ以降、経験的世界は、このような自然力の利用という観点から眺められ、そのための手段を提供するものという意味においてしか受け取られなくなる(ハイデガーが「ゲシュテル」の具体例として使う”bestellen”,”herausfordern”という動詞の意味は、このような自然力の利用という観点から存在するものを見る・扱う、ということに尽きるだろう)。
自然科学と現代技術は鏡像のように対応しているが、前者は自然の認識の拡大という目標に向かうのに対して、後者は人間の物質的力の拡大という方向に進む。ここでハイゼンベルクは生物学的な比喩を用いている(11)。物質的な力の拡大のために不可視の自然力を利用して作り上げられる技術的産物の組織は、カタツムリにとっての殻あるいはクモにとってのクモの巣のように、有機体としての人間に不可欠なものとして帰属するようになる。それは有機体内部の構造そのものとなる。そしてこの有機体は、他の有機体が自己の生存の可能を保証するために環境を改変していくように、それ自身の内部にある構造に環境を適合させて、その構造を環境に転化してゆくのであるが、このプロセスは、意図的な計画の産物というよりも、無意識的な生物学的過程に近く、人間による意識的制御の利かない次元に属しているというのである。
ハイゼンベルクが生物学的比喩に訴えたのは,漠たる直観からであろう(少なくともその理由を明示していない)。それは、科学技術は、人間の存在のある特定の部分,つまり生物種としての人間の存続と繁栄という部分に対してのみ選択的に反応し、そして反作用的にその部分によってのみ衝き動かされていく、という直観である。この科学技術の根底に作用している事態を初めて明瞭に言い表したのは、多分オルテガ・イ・カゼットであろう。文明が進歩すればするほどなぜ人間は、反文明的な野蛮人(オルテガは「大衆」と呼んでいる)に退行していくのかという問題意識の結実が『大衆の反逆』であった。また、ハイゼンベルクの直観に敏感に反応した一人として、ハンナ・アレントの名も挙げておきたい。アレントは、ハイゼンベルクの直観を、生物学的進化のプロセスとして、あるいは生物学的突然変異のプロセスとして受け取った。つまり、「進化」とは、「ダーウィン以降人間が自分の祖先であると想像している動物種に進んで」なろうとしている進化のことであり、また「突然変異」とは、現代のモータリゼーションの結果「人間の肉体が徐々に鋼鉄製の殻で覆われ始める」というプロセスである(10)。この後方への「進化」であり鋼鉄製のカタツムリへの「変異」でもあるプロセスを、アレントは「労働する動物の勝利」という形でまとめているが、その真意はオルテガの「野蛮人の勝利」に等しい。
γ) いずれにせよ、科学技術が、生物としての人間のプリミティヴな部分にのみ反応し、それによって無意識的に衝き動かされているという事態を、ハイゼンベルクはその比喩によって示唆しているだけであり、そこに力点を置いているわけではない。彼の力点はその先にある。われわれは科学技術によって武装した生物学的構造を絶えず環境に転化している。こうして「われわれは、人間によって完全に創りかえられた世界に住んでいるのだから、われわれは、いたるところで、日常生活の電化製品に関わっていようといまいと、機械で加工された食料を食べていようといまいと、人間によって造りかえられた風光の中を散策していようといまいと、再三、人間によって呼び出された構造に出くわすのであって、われわれはいわばつねにわれわれ自身にしか出会わないのである」(12)。
この事態は、ハイゼンベルクによると、すでに自然科学において顕在化したことの鈍い反映であり、その遅まきながらの現実化であるにすぎない。すでに触れたように、自然科学がその視線を超微細なものに集中させてゆき、素粒子レヴェルにまで降り立ったとき、客観的実在性の担い手として考えられたものは消え失せてしまう。物質の究極の構成要素「そのもの」について語ることはできず、それについてのわれわれの認識しか対象にできない。このことをハイゼンベルクは次のように言い表している。「自然科学においても、探求の対象は、もはや自然そのものではなく、人間の問題設定にさらされた自然(die der menschlichen Fragestellung ausgesetzte Natur)なのであり、その限りで人間はここでもまた、自己自身にのみ出会っているのである」(13)。
δ) このことをハイゼンベルクは、学問的に次のように解説している。理論とは、それ自体首尾一貫した概念と法則の体系のことであるが、それらは、その根底にある問題設定が想定する特定の経験領域にしか適用できない。その根底の問題設定を固定的に考えて経験領域を一定に保つならば、その問題設定内で提起されるあらゆる問いに対して、その名に値する理論は、普遍妥当性を持つ解答を提出できるはずである。そのような理論は(たとえばニュートン力学がそうであったように)、その問題設定が想定する領域内部では、宇宙のいたるところで妥当し、何らの変更も改良も受けつけない。だがこのことは、その理論の概念なり法則が、新たな経験領域にも普遍妥当性をもって適用できることを意味しない。実際、「電気」という新たな領域の登場はニュートン力学に対してそのような限界を突きつけたのであり、それに応じて新たな領域の出現に対処する理論体系が構築されなければならなかった。だからといってニュートン的体系の普遍妥当性が損なわれたというわけではないだろう。それは、「それが想定する経験領域の内部においては」という限定された意味において、依然として普遍妥当性を持っている。そもそも学問における普遍妥当性とは、ただそのような限定された意味においてしか、つまり、理論の根底をなす「問題設定」が想定する領域においてしか意味を持たないのである。ちなみに言えば、このような見解は一部の論理学者(とくにヒルベルト以降主流となった論理学のタイプに従事する者)にとっては当時すでに常識となっていた。かれらはこの点を特に問題視する必要を何ら感じなかったであろう。それは、論理学者にとって、理論が扱う領域の実在性に関わる問題について悩む必要がないという気楽さも作用していたためであろう。
論理学者とは違い、ハイゼンベルクは、理論が客観的実在をもはや語ることができなくなってしまったという事態を、「危機」として捉える。つねにいたるところで人間にしか出会わない人間を、彼は、鋼鉄で頑丈に出来ているために、コンパスの磁針がその鋼鉄に反応して、もはや北を指し示すことがない船の船長に喩えている(14)。無論このような船はどこにも行き着くことが出来ない。どう対処すべきか。ハイゼンベルクの回答は、自然科学に対して与えた回答と同じである。すでに彼は、「自然「そのもの」について語ることは決してできないということに折り合いをつけなければならない」と語っていた。船長の場合も同様で、いかなる点で危機が成り立っているかを認識することが先決で、その上でいかなる仕方の「折り合いの付け方」があるのかを求めればいい。危機が成り立つのは、コンパスがもはや地球の磁力に反応しないということを船長が知らない限りで成り立つのであり、船長が危機を危機として認識するようになれば、危機は半ば克服されたものと見なしていいだろう。何らかの目的地に達しようという意欲を持つ限り、船の方向を決める手段(新たなコンパス、星の位置等)を見つけるだろうからである。以上でハイゼンベルクから離れて『技術への問い』に戻ることにしたい。

[7] ハイゼンベルクによると、こうして自然科学と現代技術は別の方途をたどりながら、同じ「危機」的状況を招来するに至った。その原因として、「もはや自然そのものではなく、人間の問題設定にさらされた自然(die der menschlichen Fragestellung ausgesetzte Natur)」に対してのみ選択的に働く科学および技術のあり方が指摘された。この「問題設定」、言いかえれば「問いの定立(Frage-stellung)」の意味合いは広く取ってかまわないだろう。問いの定立は、理論的な場面であっても、実践的なものであっても等しく行われるからである。素粒子の振る舞いを定式化する場合であれ、発電所の効率的運用のための条件を考える場合であれ、自然にわれわれの「問いの定立」を適合させるのではなく、われわれの「問いの定立」の条件下のもとに自然を組み込み、「問いの定立」を構成するパラメーターの一項として見るという姿勢は共通している。このような問いの定立がいや増す加速度をもって累積すれば、生のままの自然が消え失せ、至るところで「人間は、自己自身(及び自己の問題設定によって定立されたもの)にのみ出会っている」という状況が現出するのは早晩避け難い。この「問いの定立」を総称して”Gestell”と呼び、それがもたらす状況を「危機」と名指すならば、『技術への問い』の一見突拍子もないと思われた構成が、ハイゼンベルクの立論をかなり忠実に反映していること(その限りでそれほど突拍子もないものではないこと)が判るであろう。そして多分、ハイゼンベルクの見通し、つまり「危機が危機として認識されるようになれば、危機は半ば克服されたものと見なしていい」という見通しにも、ハイデガーは同意するように思われる。

[8] しかし肝心なことは、その「危機」の内実と歴史的奥行きについての認識の程度である。ハイデガーは、ハイゼンベルクの描き出す「危機」の内実をそのまま受け入れているわけではない。それは二つの点から言える。
α) 「人間は、つねに自己自身にのみ出会っている」。この地上には人間以外存在しないかのように、また「この地上の主人」であるかのように振る舞う。それによって、あらゆるものが人間の作為(Gemachte)であるかのようなみせかけが広がる。「このみせかけは、これ以上はない「人目を欺く仮象」を生み出す。その仮象によれば、人間はいたるところで自己自身にしか出会っていないように見える。ハイゼンベルクはまったく正当にも、今日の人間にとって現実がそのように描かれざるをえないことを指摘した。しかし実は、人間は今日、まさにどこにおいてももはや自己自身に、つまり自己の本質に出会ってはいないのである」(15)。
これは、ハイゼンベルクの見解を否定したものではない。その見解は「まったく正当」であると言われているのだから、ハイゼンベルクの現実描写に狂いがあると言っているわけではない。それは、それが定めた射程内部においてはまったく正しい。19世紀後半からの自然科学および技術の進展が招来した事態の核心を描くという限定された射程内ではまったく正しい。しかし射程を変えてみれば、ちょうどハイゼンベルクが理論の妥当性の限界について述べたことと同じことがここでも当てはまる。人間はつねに自己自身にのみ出会っている。ただしその「自己自身」とは、すでに鋭敏な思想家達が見逃さなかったように、あの「祖先の種に退化しつつある人間という奇妙な生き物」であるかもしれない。そこには人間の本質を欠落した群れがいるだけかもしれない。ハイデガーもある個所で、(現代の)人間について、動物の本来の性格を喪失した「技術化された動物への転落」という観点から語っている(16)。その限りで人間はどこにおいても自己の本質に出会うことはない、と言うべきではないだろうか。
β) ハイゼンベルクとハイデガーは、同じ状況を目にしている。しかし、ハイデガーがその状況をまったく異なった観点から見ていることは、ハイデガーの「危機」の捉え方から明らかである。[2]ですでに触れたように、「危機」という語が『技術への問い』で初めて登場するとき、そこで語られる「危機」は、古色蒼然たる神学的内容であり、古代から哲学者が愛好してきた(あるいは太古の昔から人々が愛好してきた)表象である。「現代」とは何の関係もないように見える。このことは、もしそれを不整合として解釈し去るのでないならば、次のように考えるしかない。つまり、ハイゼンベルクの語る「危機」は、現代において初めて顕在化するようになったにせよ、その原因は現代に特有のものとして描かれるべきではないし、この「危機」を到達点とする歴史の全体を総体的に捉えなければならない、と考えるしかないのである。

[9] [4]において、「近代の自然科学そのものの技術的性格」に言及した。近代自然科学は17世紀に始まり、現代の動力機械技術は18世紀の後半になってやっと始まるとする常識的な歴史把握は、ハイデガーによれば、「人目を欺く仮象」である。現代の技術の本質はすでに、近代の自然科学の誕生とともに胚胎していた、つまり、「自然についての近代の物理学的理論は….現代技術の本質を開拓した」(17)、と考えなければならないことになる。なぜそうなのか。実はまだこの点についてはあまり進展を見ていないのである。ハイゼンベルクの見解は、現代における科学と技術の相互連関およびその危機的な帰結についての示唆を与えてくれはしたが、それは歴史的な見通しを与えてはいない。したがって、ここでもう少し歴史的な観点からこの問題に立ち入ってみたい。
「自然についての近代の物理学的理論は現代技術の本質を開拓した」。もしそうならば、物理学的理論において「自然」と「技術」の範疇上の区別は消えてしまうように思われる。そして、まさにこのことが近代初頭に起こったのだ、とハイデガーは言いたいのだろうか。『技術への問い』はこの点について詳しく語ってはいないので、いま問題となっている点について参考になる見解を見ておこう。 近代初頭のいわゆる「科学革命」の性格を、「技術」と「自然」との関連という観点から執拗に追求してきた科学史家に、フリッツ・クラフトがいる。彼は、たとえば「てこの原理」がいかに導出されたかという具体例に基づいて、古代(アリストテレスおよびアルキメデス)と近代(ガリレイ)の比較を試みる(18)。その結果、問題を数学的に処理するという意味での理論的な能力の格差はまったく見られない(したがってよく持ち出される「自然の数学化」ということだけでは近代の決定的新しさを構成しない)ことを明らかにする。それにもかかわらず、なぜ古代はアルキメデスの到達した理論的なレヴェルを超えることなく終わったのに対して、ガリレイの力学がその後の自然科学の急激な発展の礎となりえたのか。それに対するクラフトの答えは、力学(Mechanik)とそれが学問において占める位置についての捉え方がまったく変わったからだ、というものであった。
力学(Mechanik)という語は、ギリシャ語の‘μηχανικη τεχνη’に由来するが、その内容はまったく別物である。古代ギリシャにおいて、それは、てこやネジ、滑車装置等によって、人力だけでは出来ないことを成し遂げる技術のあり方を記述し基礎づける数学上の一学科だった。建築術、てこに関する技術、大砲術、灌漑・排水装置に関わる術、天体観測装置の作成技術等を含み、それらすべてに関して重心や平衡を算定することを必須の課題とした。要点は、それが自然の物体を扱う理論ではなく、人為的なものについての理論であった、ということである。アリストテレスによれば、それは、「自然学」とは違って、自然に反する運動(いわゆる「強制運動」)に関わり、いわば策略によって自然を出し抜く技術であった(‘μηχανη’の元来の意味は「策略(のための手段)」である(19))。それに対して自然の物体の本性およびその運動を記述し基礎づけるという課題は、「自然学」に帰された。自然の物体は、その本性に固有の「場」が定められており、外的な撹乱要因(人為的なあるいは強制された運動)が加えられない限り、その「場」を目指して運動する。たとえば、重い物体にとって、直線的に地表を目指して運動することがその「本性」であるように。このように運動の原理は自然の事物に内在していると考えられているため、また、その事物の種的な性格に依存しているものと考えられていため、(少なくとも月下界においては)統一的な運動の原理というものはありえず、それは自然の事物の種的多様性を反映して、無限に多様でありうる。したがって、アリストテレスによれば、自然の運動を数学的な単一の手段によって記述することは不可能なのであった。数学的な記述、およびそれに基づく法則化は、人為的に引き起こされた運動に対してだけ、つまり、人為的な道具によって引き起こされ、直線と円に還元される人為的な運動に対してだけ可能であった。しかしそれはもはや「自然学」ではなく、‘μηχανικη τεχνη’、つまり「(複合的道具に関わる)技術」の課題なのである。
このように「自然」と「人為」との乗り越えがたい区別が根底にあったために、すでにアルキメデスにおいてガリレイに決して劣らないほどの理論的高みに達していたにもかかわらず、古代ギリシャは近代的な意味での「自然科学」を生み出すに至らなかったし、また生み出すことはけっして出来なかった。しかしそれは何か能力の欠如といったこととは何の関係もなかった。「人為」に関する学問の成果を「自然」に適用すること自体が、カテゴリー・ミステークと見なされたからである。さて、ルネッサンス期以降古代の文献が再発見・再評価されるなか、当然アリストテレス・アルキメデスの‘μηχανικη τεχνη’の著作も精力的な研究の対象となった。ガリレイ自身もそれらを範として受容したが、ただしその際あの根底にあった「自然」と「人為」の区別はもはや支持しがたいものと映った。‘μηχανικη τεχνη’、ガリレイにとっての『レ・メカニケ』は、もはや自然を欺いたり「自然界ではできないことをかすめとろうとする」意図は持っていないし、むしろそのような考え方を「大きな虚偽」と断ずることから始まる。機械を用いても仕事が減るわけではないし、より少ない力で大きな物を移動させることが出来るようになるわけでもないという考え方(後の「仕事の原理」))を説明する個所でガリレイはこう書いている。「もし、小さな力で大きな抵抗を(もつ物体を)、(作用者が物体そのものの)運動と等しい速度で移動できるようなことがあるとすれば、われわれは、自然のおきてを乗り越えたと言うことができよう。だがわれわれは、そのようなことは、これまで想像されたどのような機械によっても、あるいはこれから想像されうるどのような機械によっても、実行不可能であることを、絶対的に確かめるであろう」(20)。
ここで断言されているように、ガリレイにとって機械の作用は、自然を欺くものでも反自然的な運動でもなく、たしかに人為的ではあるが「自然のおきて」に合致したものになっている。つまり肝心なのは、古代ギリシャに厳然としてあった、‘μηχανικη τεχνη’と「自然学」との障壁はすでにガリレオにおいて消え失せてしまっている、ということである。このような「改釈」により自然の運動が人為的な運動に同一視される(ほどなくケプラーがそれを徹底化する)ことになるに及んで、人為的な運動に対してだけ可能だとされた数学的な接近方法が、自然に対して適応可能になる道が開かれ、また、自然を人為的な条件下において通常では得られない自然の特性を引き出す「実験」という手法が「自然科学」に参入することが可能となったのである。
[10] 以上の説明から、ハイデガーの「自然についての近代の物理学的理論は現代技術の本質を開拓した」という言葉、およびそこに『技術への問い』が込めている文脈的な意味合いに、少なからぬ示唆が与えられたと言っていいだろう。近代の自然科学は、古来からの「自然学」を、その内部から突き破ってその原理を刷新したというよりも、「自然学」が語る内容をまったく別の観点から、つまり、もともと「自然学」とは何の関連もなかった‘μηχανικη τεχνη’の観点から解釈した所産である。したがってそれは、刷新あるいは革新ではなく、もともとあった「(複合的道具)に関する技術」の可能性を全面的に解き放ち、それを他のあらゆる領域に押し広げる可能性を切り開いたのである。そこから、「現代技術」が具体的形姿をとって出現するには、原理上の問題はもはやなく、たんに時間の問題があっただけだろう。
したがって近代初頭における自然科学の出現は一見歴史上の大きな転回点のように見えるが、それは背後により大きな連続性があることを打ち消すものではない。この点に付随して述べておきたいことが二点ある。
α) 自然と人為との厳格な区別の遵守とその区別の消滅、それが、クラフトが古代と近代初頭の範例を比較することによって際立たせた対照的構図である。このような変化は何に起因するのか。クラフトの答えは、先例のないものではなかった(21)。つまりクラフトは、その変化の「最も重要な前提」をなすものとして、「自然とその中の人間、および被造物全体の創造主に対する位置づけに関するキリスト教的把握」を指摘する。「人為的なもの(das Kunstliche)には、御業に満ちた(kunstvoll)被造物としての自然に対する原理的異質性が認められなかった。自然、「コスモス」は、キリスト教徒にとって、異教徒的古代とは違って、人間を超える神性をもったものとしてではもはやなく、人間と原理的に同種のもの、人間に対して従属的ですらある被造物であった…..」(22)。
β) 現代の技術の本質を切り開いたのが近代自然科学であり、近代自然科学の源泉は、‘μηχανικη τεχνη’にまで溯り、その可能性が全面的に顕在化するうえでの最大の刺激となったのがキリスト教的世界観の浸透であったという歴史的系譜、それはハイデガーが「存在史」と呼んだ独特の歴史に対する見通しの骨格部分をなすものと合致するものである。その部分は、『哲学の寄与』において、「作為性(Machenschaft)」と呼ばれていたが、それはハイデガーが意識していたか否かはともかく、註(19)で注意を喚起したように、‘μηχανικη τεχνη’の実質とその帰結をともに含むように構想されていた。ハイデガーによれば、アリストテレスの「自然(ピュシス)」の規定は「テクネー」から出発して成し遂げられた自然の一解釈にすぎず、重点はすでに「作為可能なもの」に移ってしまっていた。この事態を、「ピュシス」がすでに無力化してはいるが、まだ「作為性」が全面的に現れることはない段階として捉えながら、『哲学への寄与』はつぎのように続ける。
「作為性は恒常的現前性――その規定は、原初ギリシャの思考において、エネルゲイアのうちに最高度の鋭さに達する ――のうちに秘匿されたままにとどまる。中世の現実態の概念は、存在者性のについての解釈の原初ギリシャ的本質をすでに蔽い隠している。そのことと関連するが、作為性がより明瞭に前面に出てくるようになり、ユダヤ・キリスト教の創造の思想とそれに対応する神についての表象が入り込むことによって、「存在者(ens)」は「被造物(ens creatum)」になる。創造の観念についての壮大な解釈が断念されるようになっても、存在者が(結果として)生み出されたものであるという考え方は本質的なものとして残る。原因‐結果の連関が支配的なものとなる(自己原因としての神)。これは、ピュシスから本質的に遠ざかった結果であり、同時に、近世の思考において作為性が存在者性の本質として登場することへの橋渡しなのである。機械論的および生物学的思考様式は、存在者についての作為性に基づく隠蔽された解釈の帰結にすぎない」(23)。

[11] 「作為性」と題されたこの断章の詳しい解釈、およびアリストテレスの「ピュシス」概念との対照という作業は拙稿『自然と作為』で行ったので、ここで繰り返すことはしない。ここで指摘したいのは、この断章で述べられていることが、これまでの内容に対して持つ意味である。
α) すでに注意したように、「危機」の捉え方に関して、ハイゼンベルクとハイデガーには相当の隔たりがあった。その食い違いは両者の視点の置き方の違いに帰着すること、それはすぐ納得がいくと思う。ハイデガーが「危機」を論じながら、神学的内容に筆が滑っていったことも、『技術への問い』の文脈だけを見るならば奇妙な印象しか与えないが、「作為性」の断章に照らし合わせるならば、その印象は大いに軽減するだろう。ハイゼンベルクは「まったく正当」である。だが、その正当な直観によって言い当てられた事態は、なにも「現代」になって初めて出現した特異な現象であるとは言えないし、それどころかその原型はすでに古代から存在しているだろう。
β) しかしながら、そのように言うことは、肝心の問題点を歴史の彼方へと拡散させてしまう恐れがある。ハイゼンベルクによれば、「危機が危機として認識されるようになれば、危機は半ば克服されたものと見なしていい」。だが、ハイデガー的に考えるならば、「危機」の正体あるいはその所在が、かえって拡散され、曖昧なものとなってしまう恐れがでてくる。それは、「作為性」の見取り図が示しているように、歴史の推移そのものに同化されることによって、ついには雲散霧消してしまうことにならないだろうか。いったい何を「危機」として認識すればいいのか、それすら不分明なものとなってしまわないであろうか。
γ) 「作為性」の断章をもう一度見てみよう。それは、すでにアリストテレスの自然観そのものが(というより、古代ギリシャにおける「エピステーメー」の始まりそのものが)、暗然のうちに「作為性」の観点に支配されている、と語っている。このことが、危機の始まりなのか。またここでも「作為の因果性(Kausalitat des Machens)」の始動因としての「神」という表象に言及されているが、そのような表象が「危機」であるというのであろうか。これらのことは、それだけを切り離してみれば、まったくの暴論以上のものとして受け取ることは困難である。ハイデガーが言わんとすることは何なのかを把握するために、ここで参考になる見解に触れておきたい。

[12] ミッテルシュトラースは、その論文『自然の作用』において、「生産(Produktion)」に関するメタファーがいかに西欧の思想を一貫して貫いていたかを、古代から近世初頭にわたって詳細にたどっている(24)。その意図は、古代における二つの自然観(アリストテレス的な「創造するものとしての自然」とプラトン的な「創造されたものとしての「自然」」が、中世以降“machina mundi”という概念に結びつき、それが近世以降の「機械論的世界観」を準備するに至った、ということを論証することにあった。その概略を見ておこう。
α) アリストテレスにおいて、たしかに、自然と人為は概念的に鋭く別けられていたが、だがそれは、自然が一種の生産のプロセス(「ポイエーシス」の連関)として見なされることによって概念的に把握可能となる、ということと矛盾しなかった。なぜならアリストテレスの分析はつねに、人間の行動に本来適用されるべき範疇に定位していたからである。「デュナミス」と「エネルゲイア」は、あるものを完成させる(作品を目指して作り上げる)というプロセスに定位した概念であるが、それらは転義的に、自然の事物の生成を説明するためにも頻繁に使用された。自然の事物は、人間が物を創り出すのと同じように、自らを創り出す。これは人間の生産行為を自然へと投影した結果であろう。その限りで自然は、「ポイエーシス」の一環として現れる([3]でも触れたように、自然は「最高の意味でのポイエーシス」である)。後代の言い方を使うならば、「能産的(創造する)自然」の原型的考え方である。しかし逆に、自然の生産活動を逆に人間の行為に投影して考えるとき、自然は生産的行為の典型としても現れる。その時人間の活動としての「ポイエーシス」は、「自然の模倣」として把握される(美学において長らく命脈を保った考え方である)。人間のポイエーシスを投影された自然と、自然のポイエーシスを模倣する人間。ミッテルシュトラースはこの循環的関連を、「ポイエーシス」という点における自然と人間の共鳴、一体的な相互包含関係として解釈している。それに先立ちプラトンはアリストテレスとは違い、自然を巨大な製作者(「デミウルゴス」)の作品として把握していた(「所産的(創造された)自然」)。プラトンにとって自然とは一種の巨大な作為である(そのために、後のキリスト教神学の一つの源泉になっていく)。アリストテレスは、このような製作者と自然の関係を、自然の内部に、つまり自然物の相互関係に、移し変えたのであるが、しかしこのような差異があるにもかかわらず、両者は、事物の生成を記述するときに必ず「ポイエーシス」的関係に溯るという点では合致していた。
β) このような考え方の中世版はおそらく数限りなく指摘できようが、その典型をニコラス・クザーヌスのうちに見ることができる。アリストテレス的自然観を念頭に入れながら、クザーヌスは次のように説明する。たんに自然であるもの、あるいはたんに(人間の)技芸であるものは存在せず、あらゆる物がその両者にそれなりの仕方で参与している。知性は、それが神の理性から流出したものである限り、技芸に参与しているし、他方知性は自己自身から技芸を引き出す限りにおいて、われわれは知性を自然として認識する。なぜなら技芸は、いわば自然の模倣なのであるから。自然の感覚的事物がまったく技芸から自由であることは可能ではないし、技芸による感覚的事物が自然なしに存在するということもありえない(De coniecturis Ⅱ 12 n.131)。ところで人間の技芸の原形は神の技芸(=御業)である。世界の認識は神の認識なしには不可能であり、したがって自然の模倣は、「神の無限の技芸(御業(ars infinita))」の模倣である。そしてその技芸を、人間は、クザーヌスが好んで“machina mundi”と記した自然のなかで学ぶことができる。「われわれの精神は神を建築術にならって把握する(mens nostra concipitur deum quasi artem architectonicam)」(Idiota de mente 13 n.146 )。
ここにはアリストテレス的な自然と人為との共鳴する一体性と、作為されたものとしての自然というプラトン的モチーフが独特な仕方で混交しあっており、自然と作為(技芸あるいは御業としての創造)が完全に同一視されている。これ以降自然哲学の自然像は「建築術」のメタファー(さらに進んで機械のメタファー)によって造形されてゆくことになるし、われわれの思考という行為も、それに対応して、一種の「ポイエーシス」の能力として捉えられていくようになる(その原形は、クザーヌスにおいては、「陶工、石工、鍛冶屋、機織り」の技芸であった)。さて、その「作品」としての世界、つまり“machina mundi”という表現は、すでに13世紀の天文学の書物に登場していたが(Sacrobosco)、14世紀の自然学の書物では“machina mundi”がゼンマイ時計に喩えられ(Nicole Oresme),16世紀以降の天文学・力学の書物で頻出するようになる。「世界はあらゆる機械(machina)のなかで最大にして、もっとも効率がよく、もっとも安定して、最も良く作られたものであり、それは、あらゆる物体の複合として、神の道具である」(Monantholius)。「“machina mundi”の制作者としての神」(Johannes Hevelius)等々。この敬虔にして機械論的な思考法は、ケプラーにおいて頂点に達する。「天界の機構(Caelestem machinam)は一種の時計である。ちょうど時計のあらゆる運動がまったく単純なおもりに依存するように、多種多様な運動が、物体の単一でまったく単純な磁力に依存しているのであるから。その物理的理由は数的で幾何学的な仕方で規定されなければならない、ということもまた私は示そう」。これは、ケプラーにおいても、最終的には神の創造の理念から導き出されるであろう。しかし「神は、人間の職人(architectus)にも似て、秩序と規則に従って、世界の礎を置くことに取り掛かかり、すべてを非常に精密に測ったので….神自身、創造において、来るべき人間の建築方法(ad hominis futuris morem aedificandi)を先取りしたのだ、と思えてくるほどである」(in Mysterium cosmographicum)。 ここには敬虔な神学的表象とともに、すでに神の仕事が人間の活動に次第に取って代わられる様が、意図されることなく暗示されている、とミッテルシュトラースは述べている。
γ) この神学的表象と機械論的思考の結びつきは、後者に由来する世界観が決定的な主流となるに及んでもなかなか消え去ることはなかった。多分19世紀にいたるまで両者の結びつきの痕跡をたどることはできよう。19世紀後半(ハイゼンベルクのところで触れたように)、その機械論的世界観そのものが崩れていくにつれて、神学的表象の残滓が消えさるが、それだけではない。敬虔な“machina mundi”のメタファーとともに「自然」そのものも消えたのである。西欧においては(それがいかに無意識的なものであれ)、神-自然-人間が共通した「ポイエーシス」の関連のうちに立っている、ということが自然理解の根底につねにあった。アリストテレス的自然観を振り返ってみると、自然は人間の営みに基づいて把握され、逆に人間は自然の活動を模倣するものとして捉えられる。その共鳴関係によって、自然は理解可能となり、逆に自然から逆投影される形で人間の自己理解も可能となった。このような円環が崩れて、そこから「神」が消え、ついで「自然」が消え去り、すべては人間とその「環境」に平板化されるようになる(ハイゼンベルクが記述した状況である)。危険な点は、環境が破壊されることよりも、人間がその客観的対応物を失った(つまり自己理解のための手がかりを失った)結果、人間の行為が理解可能の範囲をおおきく逸脱して行くことに何の歯止めもないことであり、それが人間自身にとって破壊的な帰結を持ってしまう、という点にある。その帰結を避けたければ、何らかの仕方で、かつてのアリストテレス的な自然観、つまり「ポイエーシス」としての自然を復興しなければならない、それがミッテルシュトラースの結論である。

[13] 「ポイエーシス」としての自然、これは間違いなくハイデガー自身が念頭に置いている始源の事態でもある(「最高の意味でのポイエーシス」としての自然)。ミッテルシュトラースによると、このような自然観が近世以降の機械論的自然観に変貌していったことは、決定的な変質ではなく、あくまである連続性の枠内での部分的変更にすぎない。その変貌が危機的様相を呈し出すのは、機械論的自然観によるものではなく、その機械とその作者との敬虔な連携が失われたからである…。しかしこのような歴史の読み方を、まったく別の方向に解釈することも可能である(し、その方が自然ですらある)。自然と人間とのポイエーシス的連関、言い換えれば生産のメタファーが古来よりなぜ愛好されてきたのか、その点についてはおそらくプラグマティックな(あるいは「作為性」に由来する)理由しかないであろう。ミッテルシュトラース自身が述べているように、そのメタファーの起源は、「人は、自分自身が作ったものしか(was man selbst gemacht hat)、あるいは、制作の過程の結果として再構成できるものしか、理解できない(古代の伝統では、たとえばラクタンツが言うように「作者だけがその作品を知っている」)」という事態である(25)。人間は自分の作ったものしか理解できない。言い換えれば、人が理解するものは、常に何らかの仕方で、人がみずから作ったもの、あるいはその過程の結果として把握されうるものに帰着する。それが、自然そのものに内在する生産工程としてであれ、偉大なる製作者の産物としてであれ、巨大な機械としてであれ、人間による自然理解は、人間がみずからの行為を投影した結果という意味合いを常に持つ。つまり、われわれが自然の中に見出すのは、常に、われわれ自身が産み出したわれわれ自身の精神のパターンである、ということである。しかしこのことは、奇妙なことに、ハイゼンベルクが「現代」の「危機」として捉えたこと、つまり、「われわれはいわばつねにわれわれ自身にしか出会わない」というあの評言に合致するのである。これはある歴史の断面にのみ当てはまることというより、歴史を貫いて潜在的・顕在的にみずからを主張してきた人間存在に関わる根底的な制約であるように思われる。

[14] このことは、思想史あるいは哲学史の領域においてまったく未聞の事柄に属するというわけではない。たとえば、ハンナ・アレントが『人間の条件』において述べていたことを適切に敷延すれば、[13]の内容のようなものになるはずである。つまり、アレントは、「近代」という時代を「世界疎外」の始まりとして特徴づけているが、この疎外をもっともドラスティックに推進した要因を、近代自然科学の「地球疎外」、つまり、地球を宇宙から見るという意味での「地球疎外」のうちに見ている(26)。地球外の宇宙の一点(それをアレントは「アルキメデスの点」と呼んでいるが、明らかに‘μηχανικη τεχνη’の支点とでも言うべきものである)とはいっても、それは現実のものではもちろんなく、人間の理論的空間座標に規定された位置でしかないので、アレントが呼ぶ「地球疎外」とは、結局のところ人間が、「自然を地球に拘束された経験の鎖から解放して、自分自身の精神の条件下に置いた」ということに等しい。だがその結果として生じることは、ハイゼンベルクのあの「危機」的状況を産み出す思考様式である(実際アレント自身ハイゼンベルクの観点から論述を進めている)。たとえば、デカルトの確信とは、「自分以外の何物にも出会うことはない、つまり、人間の中にある精神のパターンに還元できないものには出会うことはない」という確信であり(27)、「与えられ開示されたものとしての真理を知ることはできないが、少なくとも自分が作ったものを知ることはできる」という確信である(28)。この確信は純粋に理論的なものであったが、来歴から見れば「工作人(homo faber)」の確信と言うべきであろう。「私に物質を与えよ、それによって私は世界を作り上げよう、つまり、私に物質を与えよ、それによって世界の成り立ちを私は諸君に示そう」というカントの言葉は、ある意味で「知識」と「制作」との近代特有の混交、あるいは知識内部における「工作人」の典型的態度を端的に示している。その態度はさらに次のように拡大されるだろう。「世界の道具化、道具に対する信頼、人為物の製作者の生産性に対する信頼、手段‐目的の範疇はあらゆる範囲に及びうるという自信、あらゆる問題は解決できあらゆる人間の動機は効用の原理に還元できるという確信、所与のすべてを素材として見なし、全自然を「織り直すために好きなだけ切り取ることのできる無限の織地」(ベルクソン『創造的進化』)と考える特権意識、知性と創意の才能との同一視、つまり、「人為物、特に道具を作り、制作物を無際限に多様化するための道具の制作の…第一段階」と見なすことのできない思考すべてに対する軽蔑(ベルクソン同書)」等々(29)。
だが照準を広く取ってみるならば、近代という時代の特徴としてアレントが挙げた「工作人の優位」(制作と思考を無条件的に同一視する傾向)の起源はすでにプラトン・アリストテレスにまで溯りうるということをアレントは認めざるを得なかったし、近代性の到来を告げる「観照と活動の転倒」という事態は『形而上学』にしっかりと刻印されていることも認めざるを得なかった。それは「観照と制作(テオーリアとポイエーシス)が内的な類縁関係を持っていて、観照と活動と同じはっきりとした対立関係に立っていない[からである]。少なくともギリシャ哲学において、観照と制作の決定的な類似点は、観照とは何かを眺めることである以上、制作にも内在する要素であると考えられたということである。なぜなら、職人の仕事は「イデア」によって導かれるのであるが、そのイデアとは、まず何を作るべきかを職人に教え、そして最終的な産物を彼に判断させるものとして、職人が制作過程の始まる前にも、それが終了した後にも眺めるモデルだからである」(30)。つまり、哲学者が古来から「観照」の名で尊んできたものは、実はソクラテスに端を発する忘我的な「驚き」の経験であるよりも、偽装された「制作」知であった、ということになる(ここで論証することはできないが、このアレントの解釈は疑いもなくハイデガー経由のものである)。そのことは、いくつかの例証で見た通りである。もしそうであるならば、近代という時代は、アレントが言うように「観照を制作的活動へと転倒」させた、と言うべきではないだろう。それは、転倒や刷新というよりも、もともと「観照」に内在していた制作への傾向性を純粋に解き放った、と言うべきであろう。それは、近代の自然科学が、旧来の「自然学」の原理を刷新したというよりも、もともとあった「(複合的道具)に関する技術」の可能性を全面的に解き放ったのと平行する出来事であった。

[15] 以上を踏まえて、ハイデガーが「作為性」という語のうちに凝縮させた歴史的事態を、相互に関連する二つの点に集約してみたい。
1) 「観照」あるいは「思考」に元来あった「制作」知への傾向の全面的な解放。人間の「ホモ・ファーベル」化、およびその制作にとっての素材への転化(先ほど触れたベルクソンの見解は、ハイデガーがよく言及する「総動員」の一例とみなしていいだろう。つまり、あの巨大な「織地」を織る者にとって、一切が素材として現象し、そこでは自然と人間の区別は消滅するのであるから、織地を織る者自身が織地のなかに織り込まれてしまう、という状況である)。人間に内在する可能性の諸次元が一元化される。その限りで、「人間は今日、まさにどこにおいてももはや自己自身に、つまり自己の本質に出会ってはいない」。
2)‘μηχανικη τεχνη’を全面的に解放したものとしての、さらには「現代技術の本質」を切り開いたものとしての近代自然科学の生成。もちろんそれは、古代からの「作為性」の純粋な帰結に他ならない。
このような歴史の動向を見据えて、ハイゼンベルクとともに(さらにハイゼンベルクを超えて)、ハイデガーは「危機」という語を発したのである。「危機」は、「致命的な作用を及ぼしうる機械や装置類」にあるわけではない。それは、局所化されたものとして指摘できるものではない。それは、歴史の推移の結果われわれに手渡されたわれわれ自身の思考様式そのものに内在しており、それはわれわれ自身の思考のあり方そのものである。この捉えがたい事態に関して、晩年のある講演で、ハイデガーは次のように語ることになる。
「だが危機はどこにあるのか。….それはどこにも存在せず、かつ至る所に存在している」(31)。

[16] 本論は、「危機」の内実をこれまで探ってきた。[2]で掲げた四つの疑問点のうち、2)から4)までの疑問点は、ある程度解消された、と見なして構わないであろう。それに対して1)の疑問点については、まだほとんど手つかずのままである。この点については、もはや暗示的にしか述べることはできない。「危機」あるいは「作為性」の問題系と、「真理」の問題系との間には一体いかなる関係があるのか。
α) 実は、ハイデガーにとって、その両者は「同じもの」である。ハイデガーは「正しさ(Richtigkeit)」と「真理(Wahrheit)」を区別するが、「正しさ」の基準は一体いかなるものか。通常その基準は、形式的に「ものとの合致」と定式化される。しかしその定式は、近世以降顕著になった動向、つまり「存在するものが理性の作為[理性によって作為されたもの]となった」という動向を踏まえるならば、「作為[されたもの]への合致」として考えられるべきものであろう(32)。「作為」としての存在を自明のものと捉えることと、合致としての真理を自明のものとして捉えることは、両者は相互に呼応しあうという意味で、実は「同じこと」に帰着する。
β) もちろんそのような自明と化した真理観に対して、ハイデガーは根源的な真理概念として「アレーテイア」を持ち出す。「アレーテイア」として「真理」を捉えるということ、それはギリシャ語源に対する風変わりな執着というものではない。それは(ここでは詳論できないが)、「真理」を実在論的にではなく、ある種の「行為」との連関において捉えようとすることである。しかも、「産出」という「テクネー」のいわば原行為との関連において捉えようとすることである(33)。したがってハイデガーにとっては、どこまでも(つまり「合致」と「作為」の呼応関係のみならず)、「真理」と「技術」は共属し合うものとして考えられていたのであり、これはすでに[3]でも触れた論点である。
γ) 合致としての「正しさ」に先立つ「真理」。このことは、「ゲシュテル」に先立って「テクネー」の古代的意味合いに言及していた『技術への問い』の論述のあり方にも反映している。だが、この「正しさ」ではない「真理」、「ゲシュテル」ではない「テクネー」とは一体何か。それは、すでに[3]で指摘したように、懐古趣味の一環として、いまや忘れ去られた遺物に対する憧憬という意味合いに受け取ってはならないだろう。もしそうならば、「アレーテイア」あるいは「テクネー」の探求は、一種の時代考証、あるいは考古学的興味以上のものは持ち得ないだろう。かりに、より本源的な「テクネー」というものが見出されるとしても、それは、歴史を溯って得られるわけではないし、たとえば「作為性」に由来する概念をすべて排除することによって得られるわけでもない。それは、それを見出そうとするわれわれ自身の行為を通してしか与えられないのである(ある意味でこの行為そのものである)。『技術への問い』の冒頭は、この行為について、この自己遡及的な「テクネー」のあり方について簡潔に語っているが、ここには『技術への問い』という作品の論理が集約されている(この点については別稿に譲る他はない)。つまり、
「以下でわれわれは技術について問いかける。問いかけは、道を創り出す(bauen)」(34)。


(1) Vortrage und Aufsatze(=VA),1954,36.
(2) Ibid.,34.
(3) Ibid.,19.
(4) Ibid.,20.
(5) Ibid.,21.
(6) Ibid.,21‐22.
(7) Ibid.,31.
(8) Werner Heisenberg: Das Naturbild der Heutigen Physik.Rowohlt Hamburg(1957),17.
(9) Ibid.,11‐12.
(10) Ibid.,14f.
(11) Hannah Arendt: The Human Condition(1958),322-3.
(12) Heisenberg,op.cit.,17-18.
(13) Ibid.,18
(14) Ibid.,22.
(15) VA..,35.強調はハイデガー自身による。
(16) Beitrage zur Philosophie,Gesamtausgabe 65, 275.
(17) VA..,29.
(18) 以下は次の論文のごく粗略な要約である。Fritz Krafft :’Mechanik’ und ‘Physik’ in Antike und beginnender Neuzeit ,in Das Selbstverstandnis der Physik im Wandel der Zeit, 37-74.
(19) このギリシャ語の意味を伝えるドイツ語としてクラフトは、’Listen’の他に、’Machenschaften’を挙げている。 Cf.ibid.,65.
(20) 『レ・メカニケ』(豊田利幸訳)、世界の名著21、215.
(21) Shinji Mikami : Natur und Machenschaft, in Bulltin of Yokohama City Univercity ,vol46(1995),p156.
(22) Krafft:op.cit.,71.
(23) Beitrage zur Philosophie、126‐7.
(24) Jurgen Mittelstrass: Das Wirken der Natur, in Friedrich Rapp(Hrsg), Naturverstandnis und Naturbeherrschung, 36-69.
(25) Ibid.,40.
(26) Hannah Arendt,op.cit.264.
(27) Ibid.,266.
(28) Ibid.,282.
(29) Ibid.,305-6.
(30) Ibid.,301-2.
(31) Die Kehre, in Die Technik und die Kehre, 41.
(32) Grundfragen der Philososhie ,Gesamtausgabe 45, 148-9.
(33) Shinji Mikami : Husserl und Heidegger, in Bulltin of Yokohama City Univercity , vol 45(1994),p97.
(34) VA..,13.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。