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戦争についてのノート [翻訳]

戦争について  
Brian D. Orend, in stanford encyclopedia of philosophy

定義:戦争とは、政治的共同体の間でなされる、現実の、意図的で、広範囲にわたる武力衝突である。War is an actual, intentional and widespread armed conflict between political communities.

戦争と平和についての倫理には三つの伝統がある。
1. 正戦論(just war theory):Augustine, Aquinas, Grotius 以来の伝統。今日の国際        法に結実。武力の行使に訴えても倫理的に正しいと言えるのは、いかなる条件が充たされている場合かを探る。
2. リアリズム(Realism):戦争を倫理的な観点から見ることに否定的。
3. 平和主義 (Pacifism):戦争を倫理的に見るという点で正戦論に一致するが、いかなる戦争も許容しないという点で、正戦論と対立する。

1. 正戦論
 正戦論は三つの部分から成る。
a) 「戦争に向けての正義」「戦争(を開始するため)の正当な理由」(jus ad bellum, which concerns the justice of resorting to war in the first place)。
b) 「戦時下での正義」( jus in bello, which concerns the justice of conduct within war, after it has begun)。
c) 「戦争終結における正義」( jus post bellum, which concerns the justice of peace agreements and the termination phase of war).

a) 「戦争に向けての正義」(jus ad bellum):国家の長が従うべき原則
以下の原則にそむいた場合、国家の長は「戦争犯罪」を犯したとされる。戦争が正当化されるためには、つぎの六つの条件が充たされなければならない、と正戦論は主張する。
ⅰ)正当な理由(Just cause)
国家は、正当な理由がある場合にのみ戦争という手段に訴えることができる。正当な理由としてしばしば引き合いに出されるのは、外的な攻撃からの自衛、無実の人々の保護、悪行に対する懲罰等である。
ⅱ)適切な権威と宣戦布告の周知徹底(Proper authority and public declaration)
戦争執行機関が合法的権威であり、その決定が(自国民および敵に対して)周知されること。
ⅲ)正しい意図(Right intention)
戦争に訴える動機が道徳的に正しくなくてはならない。権力や国土の奪取といった裏側の理由や、復讐や民族的憎悪といった理不尽な理由は排除される。
ⅳ)最後の手段(Last Resort)
紛争を解決するための平和的な手段をすべて使い尽くした場合にのみ、国家は戦争に訴えることができる。
ⅴ)勝利への合理的見込み(Probability of Success)
戦争に訴えることが状況の改善につながると予測できない限り、国家は戦争に訴えてはならない。
ⅵ)結果の善が戦争という手段の悪にまさる((Macro-) Proportionality)
得られる恩恵が損失を上回ると予想される場合にのみ、国家は戦争を遂行できる。

ⅰ)~ⅲ)は、正戦の義務論的な条件、ⅳ)~ⅵ)はその帰結に関する条件。

b)「戦時下での正義」( jus in bello):戦闘員に対する要求事項
ⅰ)戦闘員と非戦闘員の区別。
ⅱ)求められる目的に応じた手段を用いなければならない。大量破壊兵器の禁止。
ⅲ)それ自体悪しき手段の禁止。集団レイプ、民族浄化、捕虜の拷問、生物・化学兵器などの、手におえないような結果をもたらす兵器の禁止。

c)「戦争終結における正義」( jus post bellum)

2.リアリズム

3. 平和主義

 平和主義(pacifism)= 反-戦争-主義(anti - war - ism)。
平和主義者によれば、戦争に訴えかけることを正当化する倫理的根拠はまったくない。戦争は、常に、悪いのである。
 正戦論者(またはリアリスト)に言わせれば、これは、自己の倫理的純粋性のために手を汚すことを拒む‘clean hands policy’。平和論者は、市民としての利益をすべて享受しておきながら、そのすべての重荷を共有しているわけではないという点で、「ただ乗り(free-rider)」ということになる。(←おそらく単純すぎる)。
 また、市民の非暴力的な不服従の運動を、外交的・経済的制裁と組み合わせれば、戦争に頼る必要はないという平和主義に対して、「世間知らず」という反論 がある( Waltzer, Rawls)。不服従の運動の実効性は侵略者の良心次第であるし、外交・経済の制裁が、さらなる侵略の口実になるかもしれない(ナチスの場合)。(← まだ狭すぎる批判)。
 考慮すべき平和主義にも二種類ある。
1) 戦争から得られる利益が、戦争を遂行するコストを上回るべきではないと主張する               
   帰結主義的な形態の平和主義(consequentialist form of pacifism= CP)。
2) 戦争という活動そのものが本質的に間違いであると説く義務論的な形態の平和主義(deontological form of pacifism= DP)。
DPタイプの平和論者が戦争によって侵害されると考えるものは何か。
・ 他の人間を殺してはならないという義務。(反論は容易)。
・ 罪のない人間を殺してはならないという義務。正戦論もそう主張しているのだが、事実上罪のない人間を巻き込まない戦争というものはありえないのだから、これまでもまたこれからも「正しい戦争」はありえない(Holmes, R. On War and Morality. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1989)。

正戦論が、平和主義に対してよくもちだすのが、もともとトマス・アキナスが考案した「二重結果説(doctrine of dobble effect=DDE)」。
ある人(=X)が、ある行為(=T)をしようと考えているが、その行為は、良い(道徳的、正しい)結果(=J)と、悪い(反道徳的、不正な)結果(=U)を同時に引き起こすだろう、とXは予想している。DDEによると、XがTをすることが許されるのは、
1) Tは、ある結果をもたらすという点以外には、なんら問題はない。
2) XはJだけを意図しているのであって、Uを意図しているのではない。
3) Uは、Jに対する手段ではない。
4) Jの「良さ」は、Uの「悪さ」よりも大きい。
Xをある国家(相手国をY)、Tを戦争、Jを戦争によって死傷する罪のない人々とすれば、
正戦論は次のように説く。

Xが防衛戦争に乗り出していいのは、次ぎの条件が充たされるときである。
ⅰ) Xが、戦闘行為の結果生ずる民間の死傷者を意図しているわけではなく、ただ自衛を目指しているだけである。
ⅱ)その死傷者は、Xの目的が達成される手段ではない。
ⅲ)Xが、Yの攻撃から自国と自国民を守ることの意義は、民間の死傷者が出ることの不都合よりも大きい。  

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