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土壌の哲学 [最近の論文]

Humus‐Humanus
 
あるいは「土壌の哲学」の可能性について

1.「土壌の哲学」
2.Humus-humanus
3.土壌とは何か 
4.共生という概念とその拡大
5.「土壌の哲学」の意義


1.「土壌の哲学」


 「環境」について哲学的に考えるためには何が必要なのか。今日そう自問することは、ある意味で、とても奇妙に、あるいは、間が抜けているように見えるかもしれない。なぜなら、その実例や範例はすでに十分存在しているのだから。たとえば「環境倫理学」のもとに分類できる文献だけでもすでに膨大な数になっているのだから。
 だが「環境倫理学」を距離をおいて眺めてみるならば、たとえば、その名称をタイトルに戴いている書物を読んでみるならば、そこで扱われるテーマが雑多であったり、基本的主張が論者によってまちまちで、しかも妥協点を見出すことが困難であるほどの多種多様で異質な立場がひしめいていることに驚く人が少なからずいることだろう。いわば単数定冠詞つきの「環境倫理学」なるものが存在するのかどうか怪いたくなるような現状である。その理由は簡単に二点に集約できるだろう。①「環境倫理学」の「倫理」についての一致点を見出すことが困難なこと。たとえば、環境問題に関して「善悪」や「権利」「価値」といった倫理的概念を適用する際の適用範囲をいかにして決めるべきかという問題に対して言えば、動物解放論者、レオポルド流の「土地倫理」、クリストファー・ストーン流の法解釈、「ディープ・エコロジー」やその他の「反人間中心主義」を標榜する立場の人々では、まったくアプローチや方法論が根本的に違うのだから、それらの間に見解の一致点が見られないのはむしろ当然なことだろう。②「環境倫理学」の「環境」の理解の仕方が人によってバラバラなこと。ありていに言って、「環境倫理学」が扱う「環境」とは何か。エネルギーを湯水のように消費している現代の生活全般のことなのか。有限な「地球」のことなのか。消え行く生物や、悪化する自然のことなのか。おそらく誰もその点についての定義を持っているわけではない。一般に「環境問題」として語られている「環境」のことを漠然と総称して、「環境倫理学」は「環境」と言っているのだろう。つまりそれは、ほとんどあらゆることを語りうるわけである。これほど便利な言葉はないだろうが、便利な言葉とは、言い換えるならば、ひどく不毛な言葉である。こうした不毛な言葉を原理的なレベルで明晰化しようとする腰の据わった取り組みはほとんど皆無だった。1980年前後から急速に高まった環境問題に対する哲学者の急ごしらえの対処策を、とりあえず一まとめにしたものが「環境倫理学」と呼ばれているにすぎない、というのが現状であろう。

 いま指摘した②の点についてすこし掘り下げてみたい。言うまでなく、「環境」という概念は多様なものを内包しているが、それを統一的な視野のもとに収めるためには、単一の立脚点があるほうが望ましい。むしろ、なければならない。「環境倫理学」の原型を提示したと評価されているハンス・ヨーナスは、ほとんどの「環境倫理学者」とは違って、その立脚点を探求することに多大の時間を注いだという点で、やはり稀有な存在であったが、ヨーナスにとって、「生命」という概念がその立脚点の役割を担っていた。だがそれは、まだあまりにも抽象的であった(ヨーナスについては後で立ち返ることにしよう)。「環境問題」が現実の世界で進行している具体的な問題である以上、それを論ずるための立脚点もなるべく具体的であることが望ましいのである。
 具体的な立脚点とは何か。日本でこれを明確に提示した例外的な人に富山和子がいる。富山には『環境問題とは何か』という書物があるが、そこでは「環境」という語はただの一度も抽象的な意味で使われていない。富山にとって当然のことなのだろうが、「環境」とは、たとえば具体的なある川であり、ある森であり、ある田畑である。それを育んできた人々と、農林業の歴史が語られるだけである。富山にとっての「環境問題」とは、死滅しつつある日本の農林業をいかに守るかという問題である。そういう問題意識は、おそらく、今日「環境問題」として標準的に理解されていることとはかなり乖離したものだろう。ましてや欧米流の環境倫理学とはまるで異質である。だが異質に見えるのは、世間で言われる環境問題なるものが奇妙なまでにグローバルな観点から語られるものであったり環境倫理学の拠って立つ立脚点が抽象的でありすぎるからなのである。多くの具体例を踏まえて得られた「水と緑と土は同義語である」という富山の見解には、いわゆる「グローバル」な問題意識や環境倫理学の抽象的教説には決して見られない実質を備えている。そこには倫理というフィルターを通さない「環境」への洞察がある。木や水や土について語らずに、どうして「環境」について語れようか、ということを富山はその書物全体を通して訴えているのであるが、それは孤立した訴えであろうか。

 木や水や土について語らずに、どうして「環境」について語れようか。
「土壌」について語らずに、どうして「地球」について語れようか。「土壌」について語らずに、どうして「人間」について語れようか。富山の主張に呼応するかのように、イヴァン・イリッチは、1990年に発表された『土壌宣言(Declaration on Soil)』という短文のなかで、そのように訴えた(少なくとも私はそのように読んだ)。富山が目にしているのは、消え行く日本の土着文化の「水と緑と土」であったのに対して、イリッチの目に映ったのは、土壌そのものの消失であり、西欧哲学の伝統における「土壌」のまったき不在であった。富山が日本の文化の一環として見だしたことを、イリッチは哲学の問題として考えようとしたのである(この『宣言』がアメリカにおける有機農運動の拡大に貢献したJ. I.ロデイルの記憶に捧げられたものであることも、富山の問題意識と重なりあっていて興味深い)。肝心な部分をすこし見てみよう(1)。

 「地球という惑星、世界的な飢餓、生命を脅かす諸現象についての生態学的言説を読むと、われわれは、哲学者として、謙虚な気持ちになって(humbly)、土壌を見つめたいという気持ちになる。われわれは、土壌の上に立っているのであって、地球の上に立っているのではない。土壌からわれわれはやって来て、土壌に排泄物と屍を残す。それなのに、土壌―その耕作とわれわれの土壌への結びつき―は、西欧の伝統的な哲学によって解明された事柄のなかに見出しがたい。
哲学者として、われわれが自分の足下を探求するのは、われわれの世代が土壌と徳(virtue)の両方への足場を失ってしまったからである。徳ということでわれわれが言いたいのは、伝統によって涵養され、土地によって限定された行為の形態と秩序と方向のことであり、その行為は、行為者が通常動きまわる範囲内でなされる選択によって特徴づけられる、ということである。われわれが言いたいのは、土地の思い出を高めるその地方で共有された文化の中で善として相互に認められる慣行のことである。注意したいのは、そうした徳が伝統的に見出される労働や手仕事、住居や労苦は、抽象的な地球や環境、あるいはエネルギーシステムによって支えられているのではなく、まさにそうした行為がその足跡によって豊かにしてきた土壌によって支えられている、ということである。しかし、この土壌と存在との、土壌と善との究極的な結びつきにもかかわらず、哲学は、徳を共通の土壌に結びつけることを可能にするような概念を生み出してこなかった…。
 悲しいことだが、ノスタルジーに浸らずに、われわれは、過去がもう過去になってしまったことを認める。気乗りのすることではないが、われわれは、われわれの眼に映ること、つまり、地球が土壌を失ってしまったことのいくつかの結果を共有するよう努めよう。われわれは、お偉い生態学者たちの間で交わされる言説の中で土壌が黙殺されていることに苛立ちを覚える。われわれはまた、土壌を称揚しながら、それを徳ではなく生命の母体にしてしまうロマン主義者、ラッダイト、神秘主義者の多くにも批判的である。そこで、われわれは土壌の哲学に対する呼びかけをおこなう。つまり、それなしでは徳もなんらかの新たな生活もありえない、そうした土壌の経験と記憶についての明晰できちんとした分析に対する呼びかけを」。

 見られるとおり、イリッチの土壌に対する思いは悲観的なものである。土壌は、いわば、過去の遺物である。『土壌宣言』は、そのタイトルが示唆することとは違って、失われつつある土壌を回復しようという希望に基づいて書かれたのではない。それを願うことは一種の「ノスタルジー」の裏返しにすぎない、というのである。過去はもう過ぎてしまった。地球はその土壌を失ってしまった。その結果は受け入れるより他はない。だがせめてその記憶だけでも、はっきりした形で残しおこう。それは、その土地その土地に根ざした人間の「徳」をたどることである。イリッチはそれを「土壌の哲学」と呼んだのだが、病魔のため、それを完成することも、その青写真を示すことすら出来なかった。ただ『土壌宣言』が残されたのである。
 さて、『土壌宣言』から何を読み取るべきだろうか。『土壌宣言』に色濃くある悲観的気分は、さしあたり度外視しよう。都市に暮らしている人間にとっては、たしかに、「地球は土壌を失ってしまった」ことは日常的に実感できることであるにしても、また文明の動向が土壌の消滅という事態をもたらしていることが紛れもない事実であるにしても、やはりこれは修辞的な誇張と言うべきであろう。イリッチの生態学に対する批判はある意味で痛快ではあるが、はたして現在でも通用するだろうか。イリッチが批判する「生態学」とは、地球上の有機的・無機的プロセスをエネルギー収支の観点から扱う学問のことであろう。確かにそれが生態学の本来の定義であった(エネルギーのフロー分析としての、‘nature's economy’としての生態学)。今日の環境学や地球科学もその延長線上に位置しているだろう。それに対して「われわれは、土壌の上に立っているのであって、地球の上に立っているのではない」と言いたくなる気持ちは理解できる。ただし、土壌についての科学的知見は土壌をよりトータルに捉えようとしており、元来の生態学的観点に囚われてはいないのである。この点については後で述べることにして、とりあえずここでは、『土壌宣言』に見られる過度の悲観主義と既存の科学に対する批判意識は、すこし割り引いてみなければならない、ということに注意を払っておこう。
 同様に、「土壌の哲学」とは、イリッチにとって土壌が過去の遺物でしかないことを前提にするならば、一種の歴史的、考古学的、あるいは民俗学的な分析にすぎないことになるだろう。しかし、『土壌宣言』をなるべく肯定的な方向に持っていくことはできないだろうか。イリッチの言う「土壌」と「人間(の存在と徳)」の共属性とはいかなるものか。それについて従来の哲学が何か言いうることをもっているだろうか。
 だが、イリッチの言うとおり、西欧の哲学において「土壌」が主題となったことはほとんどなかった。かすかな例外があるとすれば、今日の「文化」の原義を提供しているキケロの文章くらいであろうか。ラテン語の‘colere’(cultureが由来した語)は、土地を開墾するだけではなく、そこに住み、それを(支配するのではなく)いたわり、それを守る、という広い含みをもつ語だった。‘cult’も元来は土地の神をいつくしむこと、である。キケロがギリシャ哲学をラテン語に移植する過程で、‘colere’を精神の鍛錬を表わす語として用いたのであるが(‘excolere animum’としての「パイデイア」 )、それは、基本的に農業を第一義としたラテン系民族のエートスに従った理解の仕方であっただろう(これは、「土壌」と切り離された「ポリス」内部で形成された哲学とはまったく異質な理解の仕方だった、とアレントは書いている(2))。土地を耕しいつくしむのと同じ意味で、精神を鍛錬する作業としての哲学。言葉の本来の意味での「土着文化」としての哲学。こうしたキケロ的な哲学観は、過去との関連でも、それ以降の哲学史を見てもあくまで例外であり、哲学史のなかの一瞬の出来事であった。またかりに「土壌」が取り上げられることがあったとしても、それは、アリストテレス的な「質料」としての土壌、製作のための「素材」としての土壌であっただろう。したがって、イリッチとともに「土壌の哲学」はかつて一度も存在しなかった、といともあっさり断定してかまわない。土壌とは、哲学にとって、プラトンの「洞窟の比喩」―これこそ「パイデイア」の範例を示すものだった―における「洞窟」のように、真っ先に捨て去られるべきものだったのである。


2. Humus- Humanus


したがって「土壌の哲学」は存在しなかった。これは何を意味するのか。土壌とはわれわれにとって縁のないものであるのか。だが、イリッチに言われるまでもなく、われわれは誰でも知っている、「土壌からわれわれはやって来て、土壌に排泄物と屍を残す」ということを。すでに「創世記」は次のように記していた。「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」(「創世記」:3:18。訳は日本聖書協会のものによる)。これこそ太古の昔から変わることのない運命として、人間ならば誰でも知っていたことである。だが、はたして、その知識はどの程度のものであろうか。
 ここですこし「創世記」について述べておきたい。環境倫理学の書物では、「創世記」における神の言葉がよく問題にされるからである。天地創造の六日目に神は言った。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」。(「創世記」1:26)。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(同:1:28)。
 リン・ホワイト・ジュニアという歴史家は、この箇所を引き合いに出して「現在のエコロジカルな危機の歴史的起源」をユダヤ・キリスト教の「人間中心主義的世界観」に求めて物議をかもした。リン・ホワイト・ジュニアはヨーロッパ中世の農業史が専門だったから、中世ヨーロッパにおいて農業がいかに自然破壊的だったか(そしてキリスト教が土着的神々に対していかに不寛容で破壊的にふるまったか)等々の事実を一般化するに際して「創世記」に言及しただけなのであったが、その影響は決して小さいものではなかったようだ。なぜなら「創世記」の解釈に際して、そこに環境破壊的な思想がこめられているかどうを検討する人々が最近とみに増えたから。ホワイトは聖書解釈をしたわけではないのだから、聖書を仔細に検討して彼の見解を反駁することは簡単にできようが、ここではその正否を質すことはしない。ただし、ホワイトの視野からまったく抜けていた点に注意を喚起した。
① 「創世記」の第二章(2:15)で「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」と述べられているが、ここで当然の前提とされていることは土の経験であり、農耕という形式で維持される生活である。メソポタミアの地における農耕民が土地を「耕し守る」、そうした生活様式の肯定を「創世記」の冒頭は「支配」という語で語っているのであろう。
② だが人間と土の関係はこればかりではない。「創世記」の冒頭は、人間と土との共属関係そのものを語っている。その共属関係は言葉に反映しているのである。「創世記」第二章の冒頭は次のように述べている(2:04~08)。

 「主なる神が地と天を造られたとき、 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた」。 

 「人(adam)」とは、「土(adamah)」から造られているがゆえに「人」である、というのである。この箇所は、永らくただ単なる言葉のあそび、「語呂合わせ」と見なされてきたようである。今日でもカトリックの正統的見解は、「人」と「土」の語源上の結びつきを認めていない。「創世記」に見られる語源的説明は「つねに正しいというわけではなく」、「アダム」の語源を「土」に求める説は「今日一般的に放棄されている」と『カトリック・エンサイクロペディア』の「アダム」の項は述べている(3)。他に「赤い」という形容詞に結びつける説や、アッシリア語の‘adamu’(「作る」の意)に結び付けて、「作られたもの」と解する説をあげながら、どの説も満足のいくものではないとして結論を保留している。 
 だが、やはり「アダム(人、人類)」の語源は、やはり「土」であろう。なぜなら「人」と「土」の語源的結びつきはインド・ヨーロッパ語の中で広く見られるからである。同じ語源上の結びつきは、ラテン語の‘humus’(「土壌」の意)-‘ humanus’(「人間の」)(‘homo’(「人間」))で見られるし、‘homo’と同根であった古ドイツ語の‘*gumn-’、古英語の‘guma’もそれぞれ「人」を表わすものであったが(いまではそれぞれ‘Brautigam’(「新郎」の意)の‘gam’、‘bridegroom’(同じく「新郎」)の‘groom’という特殊な形でしか残っていない)、それらはいずれも「土」を意味する‘dhghem-’に由来するものであった(4)。
 これらのいわばヨーロッパ語の原初に見られる「人」と「土」の共属関係を、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づく」ったという「創世記」の一文は率直に語っているにすぎない。それはやはり、土から生じ、そこに住まい、そこで死んでいく農耕民の生活の端的な肯定である。それだけではない。土の肥沃さ、土の多産性に対する洞察がなければ、‘adamah’‐‘adam’、‘humus’‐‘humanus’という言葉の結びつきは生じようがなかった。土が肥沃で多産であるということは、土は生きているということである。土は生命の源を宿している。人間が生命に与っているのは、土から生じたからである。そうした洞察が‘adam’や‘homo’という言葉を生ぜしめた。‘humus’‐‘ humanus’の共属関係に由来する語として、‘humility’(「謙虚」)、‘humble’(「つつましい」)等がある。「塵にすぎないお前は塵に返る」。土への帰属は土への畏敬を生み、人間はそこに自らのエートスを見いだし、そこから自らの定めを学ぶ。イリッチの言う「徳」もそこから生じたのである。「土壌の哲学」は、言葉に沈殿している最古の記憶にこそ目を向けなければならないのだろう。
 おそらく、「土は生きている」と言うと、原始的な自然観、アニミズム的な迷信として受けとられる恐れがある。それどころではないということは、次章で主題化することにしよう。人間は土への帰属から出発してその自己了解を言葉のうちに刻印したのだが、その自己了解は次第に希薄化していき、やがて別の自己理解にとって代わられる。そもそも「創世記」は、人間は土から生まれたと言っているわけではない。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」のだから、ようするに土は素材にすぎず、そこに「命の息」が吹き入れられなければ、人間は生命に与ることができなかったのである(いわば「物心二元論」の原初形態)。言い換えれば、土とは生命のない物質にすぎず、人間と同質ではありえない。それどころか「呪われたもの」ですらある。すでに引用した「塵にすぎないお前は塵に返る」は呪いの言葉である。‘adam’という語に込められた来歴を考えるならば、土から生まれ土に返るということは人間にとっての自然の定め以上でも以下でもないのだが、「知識の木の実」を食べてしまった人間にとって、それは呪わしい運命なのである。
 「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。 お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」(「創世記」3:18~19)。
 もはや‘adam’は‘adam’ではないし、もはや‘adamah’も‘adamah’ではない。それらの言葉の起源は見失われてしまった。聖書考古学的に言えば、「天地創造」と「楽園追放」の間には、気象変動や農業の本格化という史実があったということになるのだろうが、やはり聖書の文言どおり「知識の木の実」によって、人間が自らとそれを取り巻く自然に対していだく理解の仕方が根本的に変わってしまった、と単純に考えたほうが含蓄深い。土着的で一元的な世界観から物心二元的世界観への転換が宗教という形態をとって生じたのである。それ以降、もはやアダムとアダマとのつながりなど問題ではないだろう。だから、先ほど引用したカトリックの公式見解は、それはそれで正しかったように思われる。土に「呪い」以外の意味を認めることは難しかったのだから、アダムの語源は謎とするより他なかったのである。
 言葉に込められた太古の記憶は、人間が自らを土に属するものとして理解していたことを示している。だが、このような自己理解は、西欧の知的伝統の中では埋没したまま、正統な位置を見いだすにはいたらなかった。そのような理解を公言するものは、バルバロイとして、異教徒として、異端として見なされたことだろう。それは、ある意味で、人間性の否定を意味するか、あるいは逆に自然そのものを精神化するかのいずれかであって、それらはいずれにせよ正統にはなりえなかった。イリッチが「われわれはまた、土壌を称揚しながら、それを徳ではなく生命の母体にしてしまうロマン主義者、ラッダイト、神秘主義者の多くにも批判的である」と述べたとき、彼が警戒しているのは、過度の否定性と過度の観念性であっただろう。人間中心主義的な思考法から脱却し自然への回帰を目指そうとしながら、その訴え方が奇妙なほどに観念的で精神主義的である「ディープ・エコロジー」なども、イリッチの警戒すべきリストに加わる資格がありそうである。
 今日ふたたび人間と土との共属性という太古の記憶を蘇らせようとすることには、いかなる意味があるのか。イリッチが「土壌を称揚しながら、それを徳ではなく生命の母体にしてしまう」ことに批判的なのは十分理解できる。「母なる大地」といった観念それ自体、ロマン主義や神秘主義に陥る罠の一つであろう。だからイリッチが「土壌の哲学」を「徳」に限定して、あくまで人間の事象のみを扱おうとした意図は理解できる。しかしながらそれが唯一の方途ではない。「土壌の哲学」が可能であるとするならば、やはりそれは「生命」を視野に入れなければならない。「生命」を度外視するならば、土壌は土壌ではなくなってしまうからである。


3.土壌とは何か

 土壌とは何か。おそらくたいていの人は、黒い土、農地、泥、塵などの無機的なイメージを思い浮かべるだけであろう。ある国語辞書によると(『新辞林』 三省堂)、「地殻の最上層にあって,岩石の風化物に動植物の分解・腐蝕した有機物が混じったもの」である。だが分解・腐敗はどうして生ずるのであろうか。専門家でもないかぎりは、土壌のなかで活動している生物について思い到ることはないだろうが、そこには通常の感覚や想像力には及びもつかないミクロの世界がある。「良好な草地の土壌をスプーン一匙すくいあげてみると、そこには50億のバクテリア、2000万の菌類と100万の真核微生物が含まれているだろう」(5)。この膨大な数は、その活動の実態を反映したもので、土壌における食物網の代謝活動の8割から9割は菌類とバクテリアによるものだからである。また、計り知れないほどの多様性が指摘されている。「1グラムの土壌のなかには10,000種ものバクテリアが含まれており、それは過去何百年の間に発見されたバクテリアの数の二倍である。…科学者たちはいま、数十万種、ひょっとしたら数百万種のバクテリアが存在していて、その大部分がいまだに科学にとって未知のものではないか、と思い始めている」(6)。また菌類に関してはこのように言われている。「たった一つの場所に2500種もの菌類が見られたという報告がある。科学者たちの考えでは、少なくともまだ100万種もの菌類が土壌の中で発見を待ちわびている。その個体数は通常バクテリアよりやや劣るものの、バクテリアに比べてサイズが大きいため、菌類は、多くの土壌におけるバイオマスと代謝活動を支配している、と言える」(7)。われわれの足下に何があるかは、一般の人間にとってだけではなく、科学にとっても盲点であったし、いまだに盲点であり続けているようである。
 土壌中の食物網は、「高等動・植物・藻類・シアノバクテリア」→「第一次消費者(死んだ繊維を常食とするバクテリアや菌類)」→「第二次消費者(バクテリア、菌類、ダニ、線虫、ミミズ等)」→「高次消費者(アメーバから昆虫、さらにより大型の捕食動物)」という過程を経るのだが、この代謝の結果として「腐植土(humus)」が形成される、と最近の土壌学の書物は述べている(8)。つまり、発生の順序からすれば、まず土壌があってそこに菌類やバクテリアから始まる一連の生物が住みつくのではなく、その逆が正しい。生物が存在しなければ、土壌は存在しない。地殻や岩石は存在していても、‘humus’としての土壌は存在しない。したがって、土壌を、岩石に由来する無機物に動植物に由来する有機物が付加され混合したものとして捉える定義は、土壌の本質を伝えてはいないのである。

 土壌の本質とは何か。上述の土壌学の書物は、土壌を「空気、岩石、水、生命のインターフェイス」として捉えている(9)。植物の成長に良好な条件のローム層を取り上げてみると、それは、45%の「無機物(mineral matter)」、5パーセントの有機物(organic matter)、20~30パーセントの空気、同様に20~30パーセントの水から成り立っている。前二者は土壌の固体部分(soil solids)、後二者は孔空間(pore space)と呼ばれるが、その二つの部分がほぼ同等の割合を占めるのが良好な条件の土壌だという(10)。この孔空間(というか「すき間」のことだが)を通して、水や空気が移動する。土壌は水を浄化しながら、ミネラルを植物に伝え、それを田畑や海に送り届ける。つまり土壌は、水を介して、地殻を生命と海に結びつけている。また、上で述べた食物網は、生化学的に言えば、炭素、窒素、硫黄等が転移されるプロセスのことであるのだから、土壌は、それらの元素をその内部に貯くわえ、その過程でそれらの一部や二酸化炭素を大気に送り戻す。したがって土壌は大気の組成に影響を及ぼさずにはおかないし、大気の循環の一部である、と言って過言ではない(ラブロックが「ガイア仮説」を想定するにいたった洞察の一つである)。このように、土壌において、岩石の世界(‘pedosphere’)、空気の世界(‘atmosphere’)、水の世界(‘hydrosphere’)、生命の世界(‘biosphere’)が一堂に会し交流しているのだから、土壌とは「空気、岩石、水、生命のインターフェイス」というわけである。
 この「インターフェイス」という概念を、別の角度から見てみよう。元来そのようなインターフェイスは存在しなかった。岩石からなる陸地は、もともと生命にとって敵対的であったはずである。今日「植物」と呼ばれているものの祖先(単細胞の藻のような形態であった)は元来海の中で進化したものであった。海面近くで光合成を営み、海水からミネラルを取り入れていた。それが陸地に進出するということは、一挙に住処と水と養分を失うということであった。とくに、乾いた(気象や季節の変動に左右される)陸地でいかに水を確保するかということが最大の問題であっただろう。それに対処するメカニズムは藻内部にはなかった。そのメカニズムは、菌類(fungi)との「共生(symbiosis)」による結合によってもたらされた、ということで今日の生物学者の意見は一致している。菌類は、有機物を分解してそこから無機的養分を摂取するのだが、その過程で水を得る(そして保存する)という特性を持っている。菌類は、藻類から光合成の産物を受けとりエネルギー源とする。藻類は菌類から水と地下の養分を供給される。この互恵的な関係の最も初期の形態の一つが地衣類であり、最近の研究からその起源は約4億年前に遡ることが判っている。それと同時進行的に菌類と藻類の共生は、根の発達、植物の木質化(リグニン化)をもたらし、植物が物理的な意味で陸上で定着することをを可能にしていったのだが(11)、このことは単なる進化の過程の一こまだった、というわけではない。植物の根と菌類の共生関係はとくに「菌根(Mycorrhiza)」関係と呼ばれるのだが、現在地上にある植物のほぼ97パーセントは、菌根菌との共生を営んでおり、それなしでは生存できないと言われている(12)。植物と菌類の関係はいぜんとして双務的であって、一方は他方に炭素を供給するかわりに、水・ミネラル・リンを補給してもらうのである。この関係は、植物が根を発達させたにもかかわらず、変わることがなかった。植物の根がいかに発達したものであっても、菌根菌の菌糸は、狭い孔空間を作り出して、根が届かない土壌の深部にまで達することができる。菌根菌との共生がある植物は、その関係を持たない植物にくらべて、吸収面が10倍も違うという(13)。植物にとって、陸上の乾燥化という事態はいぜんとして最大の脅威であって、菌類と縁が切れるなどということは金輪際ありえないのである。
 それにしても菌類(fungi)とはなんと偉大な働きをする存在であろう。リン・マーグリスはドリオン・セーガンとの共著『生命とは何か』の第7章で、菌類が支配する世界を「地球の肉体(Flesh of the Earth)」と呼んでいる(14)。その著書で明示されているわけではないが、「地球の肉体」とは「土壌」のことである。そして「土壌」は、菌類に代表される微生物の活動があるからこそ「土壌」なのである(菌類と藻類との、菌類と植物との共生進化は、そのまま「土壌」の発生・進化と重なり合うはずである。「土壌」も同時に進化したのである)。数的に見ればバクテリアほどではないにせよ、菌類は、有機物の分解・同化にかけては、バクテリアの2.5倍もの効率を示す(15)。たんぱく質や糖は言うまでもなく、セルロース、澱粉、リグニン、ゴムまでもが菌類の代謝の対象になる。このような有能で貪欲な働き手が、驚くべき数と多様性を示しながら、地中いたるところにそのネットワーク網を広げ、地中深くその菌糸を伸ばしている。この活動が、あの「インターフェイス」の一環、つまり、「岩石の世界」と「生命の世界」の交流を可能にし、‘humus’としての土壌を形成しているのである。


4.  共生という概念とその拡大


 「共生(symbiosis)」という言葉を何度か使ったので、それについてすこし触れておきたい。
 ‘Frankia’という類の放線菌は植物の根に侵入して人目につくほどの瘤をつくる。それは「窒素同定(nitrogen fixation)」という重要な役割を果たしていることで、土壌関係の書物では必ず取り上げられる菌類の一つである(16)。‘Frankia’という学名は、その発見者であるスイスの植物学者Albert Bernhard Frankに由来する(17)。フランクは、1880年代に、ロシア政府の委託をうけてトリュフの研究に着手したのだが、調査すればするほど、当時の支配的な考え方、つまり「菌類は(バクテリア同様)寄生的な存在にすぎない」という考え方に疑問を持つようになった。「寄生」は一方向の関係にすぎない。だが植物の根を見てみれば容易にわかることだが、フィラメント状の根毛と見えるものは、実は根から出ている菌類の菌糸である。しかも寄生ならば菌類は植物に実害を与えていなければならないが、どの植物も健康そのものである。そこでフランクは、この植物の根と菌が内密な共同体をなしていると考え、この結合体を単一の器官として捉えた。そしてこの器官を「菌根(Mycorrhiza)」と呼んだ(ギリシャ語の「菌」+「根」から合成された新語だったが、いまでは、既述の通り、学問的に定着している)。‘共生(Symbiotismus)’という術語を初めて導入し、その生物学的な意義をはじめて強調したのもフランクだった。この点については残念ながら評価されなかった。フランクが再評価されるようになったのは1990年代になってからのようである。とくに放線菌による窒素同定の研究などは先駆的すぎたのである。つまり狭い植物学の領域では一定の評価を受けたにせよ、その研究がより広い文脈において持ちうる意義については、誰も認識できなかったのである。
 共生という概念は大別して二つに分かれる。「内部共生」と「外部共生」である。「外部共生」は、菌類と植物の根のように、複数の種が密接な相互関係を形成するが、あくまで別の種であり続ける関係であるのに対して、「内部共生」のほうは、相互交流する複数の種が一体化してしまう(一方が、他方の宿主の体内に入り込むことによって一体化する)関係である。いずれの「共生」も生物学の主流の概念にはなりえず、とくに「内部共生」をめぐる歴史は嘲笑と攻撃に満ちていた。すでにフランスの細菌学者ポール・ポルチエは、1918年に、ミトコンドリアがバクテリアの共生に由来することを直感し、あらゆる生物が二つの異なった生物の結合によって生ずるということを宣言していたのだが、それは軽蔑の対象にしかならなかった。1927年、アメリカの解剖学者イヴァン・ウォーリンも同様の見解にいたり、バクテリアこそあらゆる生物の礎石であり、(ダーウィン的な「自然淘汰」ではなく)バクテリア同士の共生的結合によって生命の進化は説明されねばならないという見解を発表したのだが、やはりウォーリンが得たのも、正統派のダーウィニストからの嘲笑だけであった。この嘲笑の壁を破るには、細胞質の遺伝をめぐる難問が解かなければならなかった。真の意味での突破口を提供したのは1966年以降リン・マーグリスが発表した一連の論文だったが、マーグリスの洞察にしても進化論の正統派に受け入れられるにはかなりの時間を要したのである(たとえば、正統派の一人、リチャード・ドーキンスがマーグリスの見解に賛意を初めて表明したのは、1995年の著作においてであった)。
 この間の事情を説明するものとして、いくつかの要因を挙げることができるが、バクテリアについての知識の欠如が一つの大きな要因であっただろう。バクテリア研究の方法論が本格的なものになったのは、1970年代に入ってからのことだった。だからこの分野はまだ広大な処女地のようなものである。だが確かなことは、バクテリアをその原初の出現の様相において考えることは、生命と環境の関連を考えることでもある、ということである。最初期の様々な独立栄養性のバクテリアが果たしたことは、無機的原料から、ありとあらゆる代謝の道筋を作り上げることであった。言い換えるならば、生命に敵対的な環境から「生命圏」の土台を築くことだった。だがそれは同時に「大気圏」や「岩石圏」の生成でもあった。シアノバクテリアが光合成のメカニズムを携えて出現したことが大気の様相をいかに変えたかは、そのもっとも判りやすい例であるが、炭素、窒素、硫黄、リンの循環システムも、バクテリア間の数知れない内部共生・外部共生を通しての代謝活動の連鎖があって初めて可能であったはずである。
 この事態を、ラヴロックはまったく別の観点から追及していた。1970年代地質学者たちは、地球の大気圏にある二酸化炭素が低レベルであること(火星に比べ20分の1、金星に比べ30万分の1)を説明しようと苦心していた。二酸化炭素が火山にのみ由来し、岩石のケイ酸カルシウムとの結合によってのみ除去されると仮定したうえで、その生成と除去のプロセスに太陽と降雨が及ぼす影響を計算したところ、負のフィードバックが働いて大気中の二酸化炭素のレベルが低く抑えられることは確認されたが、計算の結果はじき出された数値は、現実の観測値よりも数10倍高いものであった。このギャップを埋めるために、ラヴロックが注目したのが土壌であった。土壌中の二酸化炭素の含有量を調べてみると、大気中のそれに比べて約30倍高いことがわかった。これが土壌中の生物の活動の所産であることは明らかであった。大気中の二酸化炭素レベルが上がれば地表の温度も上昇するが、それは地中の生物の代謝活動を促しそりいっそう多くの二酸化炭素が土壌中で除去されることにつながる。この負のフィードバックをそなえた二酸化炭素のサイクルにおいて、土壌の生物は基軸の役割を果たしている(18)。
「外部共生」を広い意味で解するならば、代謝物(代謝の化学的産物)が異なる生物間で共有される関係として理解することができる。代謝物が、菌根菌のように、物理的に密接な関係の中で共有されるか(狭い意味での「外部共生」)、あるいは物理的に離れていても水や空気を媒介にして伝達・共有されるかは、概念的に異なることではあっても、代謝物のサイクルだけを顧慮すれば同じことに帰着する。前者の狭い意味での「外部共生」から区別して、後者のタイプは「分散(diffuse)外部共生」と呼ばれる。光合成によって水分子から解き放たれた酸素が他の生物によって呼吸のために消費されるという酸素サイクルにおいて、そのサイクルに関与するシアノバクテリアと菌類は「分散外部共生」の関係に立っている、ということになる。土壌中の食物連鎖も、炭素サイクルの一環として見なしうるのであるから、「分散外部共生」として把握することができる。今日あるような元素のサイクルは、生物の「分散外部共生」という調整機構があって初めて可能となったという仕方で、ラヴロックの洞察を言いなおすことができる。ラヴロックの言う「ガイア」とは、「分散外部共生」によって調節される物質のサイクルをマクロレベルで捉えたもの、つまり「マクロ共生(macrosymbiosis)」によって媒介される地球システムのことである(19)。
 このように「ガイア仮説」と共生進化の考え方には共鳴しあうものがある。だからこそマーグリスとラヴロックがある時期から共同戦線を張るようになったのも自然の成り行きであった。だがいずれも(とくにラヴロックの見解)が従来型の思考法から大きく乖離したものを含んでいたために、この共同戦線はしばしば不信の念を増大させるだけに終わった。正統派にとって、生命は生命圏内部に限定されるべきものであるのだから、「ガイア仮説」などまったく不純なものに映ったのである。だがバクテリアを考えてみるならば、「生命圏内部」といった観念がいかに危ういものであるかすぐ判る。微生物学者ソリン・ソニアによると(20)、世界のあらゆるバクテリアは絶えず遺伝子を交換しあって、世界共通の情報バンクのようなものを形成している。そこで個々の菌株は「地球全体を覆う超生物(a global superorganism)」の細胞のようなものである。薬剤耐性菌のすばやい出現が示しているように、ある局所で起こった小さな変化はたちまち全体に波及し、「超生物」は個々の菌株が進化しコロニーを形成できるように、環境を変えていく。マーグリスによると、これこそ「生命が環境を変様していく仕方を述べたガイア仮説の完全な実例」なのである(21)。


5.「土壌の哲学」の意義


 以前の「土壌」の定義に戻ろう。土壌とはそれ自体で存在する何かなのではなく、「空気、岩石、水、生命のインターフェイス」である。その中心に生命の代謝活動がある。生物の共生の連鎖を通して物質が循環し、その結果として今日の大気が、水が、そして土壌が形成された。適切でない表現をあえて使うならば、空気、岩石、水、生命は一種の「マクロ共生」を営んできた、と言いたくなるほどである。土壌とは、そうした共生が行われる場なのである。このことを直感的に感じとる感性はかつて存在したかもしれないが、その直感を客観的な言語によって表明する知性は存在しなかった。イリッチが述べたように「土壌の哲学」はこれまで存在しなかった。この不在は、「創世記」以降の西欧の知的伝統において、いわば構造化されたものである。「土壌の哲学」が可能であるならば、それは、この伝統を遡っていって、「土(adamah)」に倣って「人(adam)」という言葉を創出した知性を取り戻さなければならない。それだけではなく、さらに、いかにして「人」が「土」から生まれたのか、その系譜を絶えず問わなければならない。いいかえれば、新たな「創世記」を書かなければならないのである。
 かつてハンス・ヨーナスは、グノーシス派の研究を通して、西欧の二元論的伝統に内在する破局的な傾向性に気づき、それを打破するための理論的支柱をダーウィンの進化論に求めた。ただし進化論といっても、批判的に再解釈された進化論である。特にヨーナスがこだわった点は、進化の道筋には二元性がないということであった。精神と物質を隔てる障壁は、生命現象において存在しない。ダーウィンの言う進化を逆転させて見るならば、最低次の生命体にも人間の精神と同質なものが存在しているのでなければならない。ヨーナスは『生命という原理』(22)でその主題を集中的に扱い、いわばバクテリアについての現象学的、実存主義的解釈をおこなった。それはまだ思弁の域を出るものではなかったにしても、原理的な道筋は正当であったように思われる。なぜなら、今日の生命科学の先端は、ヨーナスの洞察の先見性を実証しつつあるような方向に進んでいる、としばしば見えることがあるからである。これまで何度か引用したフランク・ライアンは、最近になって知られはじめたバクテリアの多才、創造性、柔軟性に直面して、それを適切に言い表すためには、「ゲノムの知性(genomic intelligence)」という概念を作り出す以外の選択肢をどうしても見出せなかった(23)。生命とは、そもそもの初めから、ある種の知性ではないか。それが、今日、生命進化の謎に新たな角度から取り組んでいる研究者が予感していることなのであろう。このことを、昔ながらの唯心論という罠に陥らずにいかに理論化するかということが、生物学の先端に現われてきた課題なのであろう。
「土壌の哲学」がありうるとすれば、それは、こうした「知性」が「1グラムの土壌のなかに10,000種」も含まれており、複雑な共生関係の網の目を通して土壌を作り出していることに驚嘆することから始めなければならない。そしてその「知性」が切り開いた進化の歴史から教えを請わなければならない。そしてそれが見事な共生のシステムを生み出していった道筋をさらに辿らなければならない。そのためにもまずわれわれは、イリッチとはすこし違う理由から、「謙虚な気持ちになって、土壌を見つめたいという気持ちに」なることが必要なのである。

 

1. Illich, Ivan in collaboration with Sigmar Groeneveld, Lee Hoinacki and other friends: "Declaration on Soil[1990] .",in Whole Earth Spring 1999.
2. Arendt,Hannah: “The Crisis in Culture”,in Between Past and Future,p.211-2.
3. The Catholic Encyclopedia, Volume I.Online  Edition . http://www.newadvent.org/cathen/01129a.htm.
4. The American Heritage® Dictionary of the English Language, Fourth Edition. http://www.bartleby.com/61/roots/IE104.html
5. Warshall,Peter: Four Ways to Look at earth, in Frodeman, Robert(ed): Earth Matters[2000], p.193.
6. Ryan,Frank: Darwin’s Blind Spot[2003], p.134.
7. Brady,Nyle C and Weil,Ray R: Elements of the Nature and Properties of Soils[2002], p.333.
8. Ibid., p.319.
9. Ibid.,p.13.
10. Ibid.,p.15.
11. Ryan,Frank, op.cit.,p.144f.
12. Ibid.,p.149.
13. Brady,Nyle C and Weil,Ray R, op.cit., p.336.
14. Margulis,L and Sagan,D : What is Life? [1995], p.,171ff.
15. Brady,Nyle C and Weil,Ray R, op.cit., p.334.
16. Ibid.,p.406.
17. http://www.bacterio.cict.fr/personalnames.html.
18. Lovelock,J.E.and Watson,A.J.: The Regulation of Carbon Dioxide and Climate:Gaia or Geochemistry?, in Journal of Planetary and Space Science 30[1982],p.795-802.
19. Ryan,Frank, op.cit.,p.175.
20. Sonea,S: Bacterial Evolution without Speciation, in Margulis,L and Fester,R.(ed): Symbiosis as a Source of Evolutionary Innovation{1991},p.95-105.
21. Margulis,L: Microcosmos[1997], p.101.
22. Jonas,Hans: Das Prinzip Leben[1973].
23. Ryan,Frank, op.cit.,p.15,138.


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